治らない人から治る人へ…

前回は、治る人と治らない人の違いについて書きました。

その違いは、意識の違いとか、物事の受け止め方の違いとかありますが、言葉の違いもあるようです。


治らない人は、自らメビウスの輪とか、クラインの壺にはまり込み、言葉の癖から出られない仕組みを作ってしまいます。治る人は、螺旋を描きながら、良い方向に向かう言葉の習慣を持っています。

ということは、治らない人は、自分の言葉の癖に気が付き、良い方向に向かう言葉の習慣を身につけることいより、物事が良い方向に向き、治る人になることができるということになると思います。


治らない人は、「こんな状況で自分はこんなに辛いんだ、こんなに大変なんだ」と周りに訴えます。

その言葉に対し、それを聞いた人は、「そうですか」とか「辛いですね」とか相槌を打つしありません。

慰めとか、良く頑張ったとか、それは悪かったとか、自分以外の人に何かを求める言葉です

とても依存的に聞こえますし、また、依存的な人、つまり子供っぽい人と受け止められます。


またそのような人は、「あの時気をつけていれば」とか、「疲れていたからやめておけばよかった」とか、「あの人がああ言わなければ」とか、もう起きてしまった変えようのない過去のことを「たられば」でいつまでも考えています。

現状を受け止めていません。もうこの現実は変えられない、仕方がないんだということを受け入れられていません。

「こうだったら」「こうであれば」と考えることで、現実が変わり少しでも楽になれればいいのですが、どんなに頑張っても過去のことです。どうしようもなく、考えれば考えるほど、自分がつらくなります


そんな辛そうな状況をみかねて、アドバイスをしても、もともと自分のこととして受け止められず、周りになにかを求める言葉の癖を持っているので、「だって、こうだから無理だ」とさらに愚痴を言ったり、「そんなこというなんてひどいじゃないか」とじぶんが非難されたと感じて悪く受け取ったり、言い訳を言ったりや被害者的なものの見方になっていきます。


まぁ、もともと依存的な言葉は、自分は弱い立場だという被害者意識から出てくる言葉です。

だからもともと、良かれと思って言ったりやったりしたことを、悪く受け止める考え方の癖があるから、感謝どころか、文句になります。

そうしたら、親身になってくれる人はどんどんまわりからいなくなってしまうでしょう。


「こんなに辛い状況なの、こんなに頑張っているの、だから私を愛して」

そんな思い(意識)から出ている依存的な言葉は、結局自分を一人にしてしまいます。


この依存的な意識を変えていければいいのですが、依存的な人は依存的であるが故に、自分の意識を変えようということろになかなか向かうことができません。

まぁ、この意識を変える…というのが、私のところでやっている「インナーチャイルドの癒しのレッスン=さわやかライフセラピー」なんですが…。


そこで、依存的な言葉の癖をいしきして変えていくことで、状況が変えていく…というアプローチのほうが、より現実的でしょう。


「もういやだ、この現実を変えたい」と思っていることをそのまま書き出しましょう。


たとえば、「なによA子ったら、いつもより早い時間に来て。せっかく彼と2人きりになれるチャンスだったのに」と思ったとします。まずそのまま書き出します。


この言葉の癖のままだと、彼と2人きりになれなかったのは、A子がいつもより早くきたせいということになります。

なので、狙っていたチャンスをA子がつぶしたので、A子は私に恨まれても当然だ…という思いこみに正当性を与えてしまいます。大義名分というやつです。

でも、A子にとっては、そんなことは知ったこっちゃないし、だいたい私が彼と2人きりになれるチャンスを狙っていたことなど知らないし、自分のせいにされても、逆恨みもはなはだしいでしょう。

でも、この言葉の癖で考えたり話したりしているうちは、それが正当であるように思えます。そして、これから先、彼との関係に必ずA子が出てくるので、彼との関係の進展は難しくなり、A子への思いだけが募ってくるでしょう。どんどんA子の存在が大きくなります。

A子に対し仕返しをしたとしても、それは正義であると思うでしょう。

言葉にはそのような魔力があると思います。

でも、この言葉の癖は、誰のことも幸せにはしません。

むしろ自分も周りの人も苦しくなるし、人に対し嫌な気分にさせるでしょう。


ではどのような言葉を使ったらいいのでしょうか。

書き出した文章に「私は」という自分を主語にした文章に書き直してみてください。


「私は、彼と2人きりになれなかった原因はA子のせいであると考えて、彼女に対して怒りを感じた。また、私は彼と2人きりになれなかったので、がっかりした。」とか「私は彼と2人きりのチャンスを逃したことが悔しかった」という言葉になるかと思います。


そうすると、私の怒りは、私がA子のせいにしているという自分の思いからきている…ということになるので、ここでやっと自分の問題として取り組めます。

そして、自分の願いは彼と2人きりになり、仲良くなりたいということに気がつくでしょう。

そうしたら、彼と仲良くなるにはどうしたらいいか…という具体的な計画になっていきます。

そういうときにだれかにアドバイスをしてもらうと、自分は具体策を練っていたので、ありがたいなと素直に意見として聞くことができるでしょう。

A子のこともここで完結しているので、今後なにも影響はないでしょう。

また、同じ状況になりそうなときに、「彼と二人きりになりたいから、ちょっと遅れてきねて」と事前にお願いして協力してもらうことを思いつくかもしれません。


これが良い方向にいく言葉の習慣です。


意識が変わってくれば、自然と言葉が違ってくるのですが、なかなか取り組めずにくるしいこともありますよね。だから、まずは癖を直してみるということろから初めてみてもいいと思います。形から入るってやつですね。

もちろん癖になっていることだから、初めからすぐに良い習慣が身に着かないでしょう。でも、コツコツとやり続けると必ず変わってきます。

なんか、辛い状況に陥って出口が見えないな…って思ったら、まずは、書き出しをしてみて、その次に「私は…」という主語で文章を作り直してみてください。

それだけでも、物事が解決してくるでしょう。



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治る人と治らない人の違い

今日は骨折をした人、2人の話を書きたいと思います。
自分はどちらのタイプだろうと、照らし合わせて読んでみてください。

1人目は60代女性で、ひどい事故で全身骨折、腕や脚は複雑骨折で生存を危ぶまれたが、なんとか一命を取り留めました。
超長時間の手術を終え、目を覚ましたときには、足の長さが4cmも違っていたそうです。腕も数か所複雑骨折をしていて、将来的に日常生活を送るのは無理だろう、一生車いすだろうと誰もが思っていたそうです。というか、ICUから出られるかどうかという状態だったくらいなので医者からは、命があっただけでも…といわれていたそうです。

その女性はもともと活発で、多趣味でいろんなところに出かけるのが好きでした。また、家事、とくに料理が大好きだったので、好きなものを自分で料理できなくなるのが嫌でした。得にひどく骨折をしたのが右手でしたが、包丁を使えなくなるのは、絶対に嫌だと思ったでしょう。
絶対に動けるようになりたい…って思ったそうです。

そして、リハビリが始まりました。
長い時間ICUにいて動くことができなかったので、筋肉は縮小し、関節は凝り固まり、動かすと激痛が走ったそうです。
でもそこで、患者先輩の方に言われたアドバイスを思い出し頑張ったそうです。

「リハビリで先生に関節を動かしてもらう時に、絶対に痛いと言ったり、痛そうな顔をしてはだめ。早めの時期に関節を動かさないと一生動かなくなる。リハビリの先生も人間だから、痛そうな顔をすると知らないうちに手加減してしまうから、そうしたら、もう、もとに戻らないからね。今までのように動けるようになりたかったら、どんなに痛くても我慢して平気な顔をしているのよ」と、言われたそうです。
リハビリは思ったよりも痛く、激痛が走り、悲鳴を上げそうになったけど、必死に我慢して、笑っていたそうです。

まぁ70近かったから、医学的には絶対に歩けるようにならないし、料理や家事などは無理と言われていました。
でも、今は、1人で電車で都心に出ることはできませんが、杖をついて近所を歩くこと、家事を普通にこなすことができるようになりました。もちろん包丁も使えます。
叔母が入院していた、大学病院の救急病棟はかなりの重症者が運ばれてきますが、本当に奇跡だとびっくりしていたようです。

もう1人は60代男性で、若い時はスポーツ万能で、60歳過ぎてからも、原チャリに乗って現役で仕事をするような体育会系の人で、体力には自信があった人です。
でも65歳くらいのときに、柿の木から落ちて、大たい骨を骨折し1カ月入院しました。
まじめにリハビリに通っては、「こんなに大変なんだ、こんなに痛いんだ」と、優しいリハビリの先生に愚痴をこぼしては、「そうかそうか」と聞いてもらってました。若い人であれば問題なく普通に歩けるようになるだろうが、年よりだし、そんなに痛がっているならと、無理なリハビリはしなかった…というより、するように言っても、「でもこんなに痛いんだ、本当に辛いんだ」と言うばかりで、そこをなおたてつつなんとかやらせたという感じだったようです。
奥さんは、本当はもう松葉つえなしでも歩けるはずなのにねと、私によくこぼしていました。

退院後も彼は松葉つえをつき、ビッコをひいて歩いては近所の人に、同じ愚痴を聞いてもらうのが日課でした。なにしろ、ちやほやされるのが好きでした。
ビッコを引くことで、今までと比べものにならないくらい近所の人には「どうしたの?」と声をかけられ、話を聞いてもらえるようになりましたが、足が痛いと言ってはあまり動かなくなりましたので、体力も急激に衰え、外にも出ることもできなくなり、結局、たまにくる娘や孫に同じような愚痴、若い時の自慢話をすることしかできなくなりました。
行けばちやほやされていた、大好きな銀行通いもできなくなり、そうこうしているうちに、結局本当に歩けなくなり、自分から人に会いに行くことができなくなってしまったのです。
最初は気の毒に思っていたご近所の方も娘たちも、毎回行くたびに同じ愚痴をこぼすので、結局盆と正月に娘たちがくるくらいで、だれも来なくなってしまいました。

さて、この女性と男性は同じくらいの年に骨折をしています。 体力的なところをみると男性のほうが治る確立はたかったと思います。でも男性は歩くことができなくなり、女性は歩けるようになりました。傷の治り、骨の付き方も女性のほうが断然良かったようです。

では、たまたま叔母の担当になった医者やリハビリの先生が特別良かったのでしょうか?私はちょうど2人の介護をしていましたので、その違いを目の前で見てきました。私は両方のリハビリの先生を知っています。どちらも、大きなリハビリの先生でむしろ、祖父のリハビリの先生は腕がいいと有名な人だし、担当の医者も県外からもわざわざ治療にくるような優秀な先生でした。
叔母の担当の先生は、一生懸命だけど、まだ若く、経験の浅い先生でした。

この女性は「治るためにはどうしたらいいか…」と考えて行動しました。
この男性は「今辛い状況を理解してほしい、わかってほしい」と思ってまわりの人に訴えていました。

関わる人は、「どうしたらいいか考えて行動する人」には、具体的な治るための方法を教えることができますし、彼女はそれをやるでしょう。
「今のつらい状況をわかってほしいと訴える人」には、その愚痴を聞くことしかできませんし、アドバイスをしたとしても、彼はアドバイスにお礼は言うけど、やらないでしょう。そして、また次の日に同じことを訴えるでしょう。

治る人、治らない人、すべては、その人次第なんですね。

あなたは、この男性のタイプですか?
それとも、この女性のタイプですか?


赤ちゃんの気持ち…その2

さて、続きです。

人は、五感だけで、感じたり、情報を得たり、理解しているわけではありません。

人には、エネルギーの流れ、気の流れがあります。

ホメオパシーでは、バイタルフォースといいますが、ヨーガなどでは、プラーナと呼ばれていますので、そちらのほうが一般的でしょう。

プラーナにはその人の感情が溶け込んでいます。

魂の状態、霊性の高さがその人のプラーナからわかります。


胎児期から、2歳半までの赤ちゃんは、お母さんとプラーナが一体化しています。

赤ちゃんが何をしても泣きやまないときなど、周りの人がお母さんに声をかけ、お母さんの気持ちを受け止めてあげて、落ち着いてくると、赤ちゃんが泣きやむ…なんて経験はありませんか?


妊娠中、ストレスを感じているときに、おなかの中の赤ちゃんが変に動き回ったり、落ち着かない感じがしたりしたことを感じたことはないですか?


胎児はおなかの中で、プラーナを通して情報が入ってきます。

母体となるお母さんの感情が安定していて、喜びに満ちていたり、感謝の気持ちにあふれていたり、良い状態であれば、おなかの赤ちゃんは「快」と感じます。

反対に、お母さんの感情が、乱れやすく、ストレスが多く、プラーナが乱れ悪い状態であれば、「不快」と感じます。

赤ちゃんの霊性が高い状態であっても、お母さんの感情の乱れにより、霊性が下がると、赤ちゃんの霊性が落ちて、とても「不快」に感じます。


それで、赤ちゃんはお母さんに一生懸命に訴えます。

それが、お母さんの体調の悪さとなり現れます。

前回のブログで書いたように、「つわり」や「おなかの張り」となって現れます。

なので、お母さんの気持ちを落ち着かせることが、張りやつわりを治めることになります。


張り止めを摂るのもいいですけれど、どういう状態で張りやすいのか…ということを気をつけて観察してみること、ストレスを避けることも大切です。

そのためにも、お父さんの協力なしにはできないと思います。


「イクメン」という言葉も定着しつつありますが、お父さんがお母さんと同じことをやることもいいですが、お母さんの心のフォロー、気持ちを受け止める、大変さをわかってあげる、どのようなサポートがいいか話合うなどのケアも必要だと思います。

お母さんを一人の人間、一人の女性として扱い、孤立させないことが大切かと思います。


でも、、私たちが赤ちゃんのころには、そういった考え方は少なかったと思います。

むしろ、家族のためにお父さんは企業戦士となり、外で一生懸命働いて、金銭的な豊かさをもたらす。

その結果、お母さんは孤独と不安の中で、孤立して子育てをするようになったんじゃないかと思います。



 

赤ちゃんの気持ち…その1

この前クライアントさんと話していて、そうだなって思ったことがありました。


今では、「胎教」ということが普通に知られているようになって来ましたが、私たちの親の世代は、生まれたばかりの言葉もなにも知らない赤ちゃんは、犬や猫と一緒、子供は猿と一緒っと思っている人が多かったようです。


胎教という言葉を知っていたとしても、それは赤ちゃんの能力のことで、生まれたばかりの赤ちゃんに、ましてや、おなかにいる胎児に、心があるなんて考えもしなかったでしょう。


だから、平気で悪いことをすると殴ったり、つねったりしてしつけたり、何も赤ちゃんに説明せずに大人の行動に合わせたりしていたと思います。

私の親なども、子供が騒いだり、いうことをきかないと「ゴツンと殴ればすむのに…」ということをいいますが、大人にそれをやる人はあまりいないと思います。


でも、実は、まだお母さんが妊娠に気がついていない4週間よりも前に、形もあるかないかわからないときから、赤ちゃんには感じる力が備わっているようです。

まず赤ちゃんは、「快」「不快」を感じます。


お母さんの感情が乱れると、赤ちゃんは「不快」に感じます。

不快に思った赤ちゃんはお母さんに訴えます。

それが、「つわり」や「おなかが張る」といった、お母さんの体調の不調として現れます。

逆にお母さんが安定したゆったりした気持ちだど、「快」を感じます。

妊娠期間をお母さんが安定したゆったりした気持ちですごすことは大切と、よく言われるのはそういったこともあります。


では、まだ肉体も脳も持たない赤ちゃんは、どのようにしてその「快」「不快」を感じることができるのでしょうか?





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プロフィール

くるりん 村上

Author:くるりん 村上
日本人が元々もっている内照するような感覚を日常に取り入れてみると、自分を客観視することができ、自分の考え方の癖に気がつき、見えてこなかった真実に気がついてきます。私たちのほとんどは、自分の人生を自分の足で歩いていないのです。世間体とか周りの人たちとか、みんな…という誰かの価値観の中で生きています。でも本来私たちは愛の存在であり、愛に包まれています。だから、私たちはもっと自由に自分らしく生きても、いいのです。
くるりんでいうところのインナーチャイルドとは?
ホームページはこちら。
http://kururin.wix.com/p-kururin

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