悪循環への価値観と幸せ循環への価値観 その2

私たちが今まで慣れ親しんでいた価値観、つまり体と心を満たすことを追求する『欲を満たすことが幸福な人生である』とする価値観を『この世的価値観』と言います。その価値観は時代や地域によっても変わる価値観で、一般的に『常識』とか『世間体』とか言われているもので、私たちが、「もう当然・常識」と思い込んでいるものを言います。それは、人によってもちがったりするので、可変的です。常識はそれぞれの家庭によっても違ったりします。

それに対し、幸せ循環へとつながる新しい価値観とは、魂の流れに沿った、価値観であり、それを『霊性的価値観』と言います。長い年月を存在している魂の価値観なので、それは普遍的です。

『この世的価値観』は苦しみや渇望を生み出し、私たちを悪循環の人生に導きやすいです。
それに対し『霊性的価値観』は私たちを幸せ循環への人生に導いてくれる価値観です。
幸せ循環の人生とはなにか、充実感、満足感を味わうことができ、それは至福の生き方への道です。
「道」というだけあって、自ら意識しないと行くことができない道です。

この『霊性的価値観』は、実は時に私たちが常識としている『この世的価値観』とは、ま逆のことさえあります。それほどかけ離れている価値観なんです。なので、生活に生かすのが、初めは難しいし葛藤があります。
でも、『霊性的価値観』無しに、本当の幸せを感じることは難しいでしょう。

実際に、この世的価値観とはどのようなものでしょうか?ちょっと例をあげてみましょう。
・優れていなければならない。
・正しくなければならない。
・一番でなければならない。
・偉くなければならない。
・美しくなければならない。
・相手より優位に立ち、コントロールしなければならない。
・効率を求め結果を気にする。
などなど・・・

どれも当然と思うし、特に会社なんかではないと困るようなものもありますよね。

さて、どんなにお金があっても、社会的に高く評価され、優れていても、仕事も家庭も絵に書いたように幸せな状態でも、なんか、物足りないような、寂しさや、将来への心配やら、息苦しさやら、空虚感やら、感じている人は多いのではないでしょうか。みんなにうらやましがれるような生活の中で、なんの心配もせず、平安と安心感と幸福感を持続できている方はどれだけいらっしゃるのでしょうか?

要は、魂の欲するところを顧みず、この世的価値観のみを追求するということは、形上は幸せになり、羨ましがられるかもしれませんが、本人の幸福感を得ることは難しいようです。なので、今の生活に二つの価値観をバランスよく取り入れることが大切なのではないでしょうか。

例えばこの世的価値観に“優れていなければならない”がありますが、霊性的価値観では優れていなくても良い、優れている必要はないと言うことになります。
もちろん、霊性的価値観でも優れているに越したことはないけれども、「絶対にそうでなければならない」と言う狭さはなく、出来るも良し、出来ないのも良しと言う大らかさがり、そこには許しがあります
ということで『この世的価値観』を少しずつ手放し、『霊性的価値観』に徐々に変えていくことが幸せへの道につながります。
 
さて、この霊性的価値観で生きる…つまり、魂の望む生き方をするとどうなるか…
実際の自分の体験、勉強会や個人レッスンの参加者たちの変化でも、実際そうだったのですが…
まず、魂の望む生き方=本来の自分の生きる方向ということでもあり、本来の自分の人生になってくると、さまざまな説明はここでは抜きにして、まず免疫力がアップしてきます。つまり心身ともに丈夫になってきます。
要は、いきいきとしていて、病気や不幸が入り込む隙がなくなるともいえるかもしれません。
免疫力がアップするということは、今話題のアンチエイジングにつながるということともいえるかもしれません。

見た目も若々しく、表情豊かになり、その人らしさが出てきて、個性的になる、つまり、魅力的になってくる…ということです。女子力、男子力がアップするということにもなりますでしょうか?

~続く~
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悪循環への価値観と幸せ循環への価値観 その1

私たちは、豊かな暮らし、豊かな生活の中に幸せがあると信じてきました。
経済的に豊かになると、思い通りの人生、幸せな人生、満足できる人生が訪れると思って、そこに向かって一生懸命に生きています。

★人よりもいい暮らしをしたい
★いい会社で、高い地位に付きたい
★金儲けをしたい
★お金に糸目をつけずにおいしいものを食べたい
★異性に、もてたい
★いつまでも若く美しくありたい
etc.

そして、経済が豊かになり、いいものが安くてすぐに手に入るようになりました。
私が小さい頃に、SF小説や漫画で読んだような世界になりつつあります。
たとえば

★テレビ電話で世界中の人といつでも話ができる。
★家にいながらにして、世界中から買い物ができる。
★本物そっくりの立体映像(3D)が家庭で見ることができる。
★夜も昼間のように明るい。
★24時間快適な家。
etc.

私の小さいころとは,その便利で快適な生活は比べ物になりません。
洋服や靴下やタイツに至るまで、穴が開いても継ぎあてで着ていましたが、今はちょっと行くと安くておしゃれで着やすい素材のものがすぐに手に入ります。お店も遅くまで開いています。
家に付くと快適な温度になるように、クーラーやヒーターをタイマー設定したり、携帯電話で外から操作で着たります。
寒さをこらえながら、吹きさらしの風呂場で出るに出られずに、お湯がぬるくなるまで入って余計体冷えてしまう…なんて経験を平成生まれで経験している方は貴重な体験をしていると思います。

体調不良で、病気になると、最新の機材で体の内面の隅々まで検査できるようになりました。
科学も発達し、昔わからなかったいろんなことが解明できるようになりました。

このように経済が発展し、文明が発達し、大変豊かで便利になった現在で、果たして、私たちの苦しみは無くなったでしょうか?


さてここで話は変わりますが、よく私たちが番う言葉で「四苦八苦」というのがあります。
もともとは仏教用語です。仏教の中の教えて、人間の持つ苦しみのことを言っています。

四苦は「生老病死」という、人間の逃れられない苦しみを言います。

・「生に対する苦しみ」
生きることの苦しみ。生きるというのは、楽しいことやうれしいことばかり続くものではありません。むしろ苦しいと思うこと、面倒なこと、嫌なことのほうが多いかもしれません。死にたいと思うほどの辛さの時でも私たちは生きていかねばなりません。

・「老に対する苦しみ」
最近の美容に関する商品は、本当にすごいです。1本でたくさんの役目を果たすBBクリーム。塗るだけで5歳は若返るようなカバー力の強いファンデーション。科学の発達はいろんな分野に活用され、アンチエイジング(若返り)の研究もたくさんされて、本当に実年齢より若い方が多くなりました。美魔女が簡単に実現できるのです。若さに対する執念は男女を問わずにすごいものがあります。それでも、老いることを避けることはできません。加齢に逆らって若くいれる人はいないと思います。その老いへの恐怖が若さに対する執念となるのでしょう。

・「病にたいする苦しみ」
どんなに医学に詳しくても、どんなに健康オタクでも、どんなに修行を積んだ人でも、どんなに気を付けていても、人は病気から逃れられません。なので、病気になりたくないという欲、病気を恐れる気持ちは、苦しみを生みます。どんなに医学が発展し、どんな病気も治せるようになったとしても、病気になるのでは…とか、再発するのでは…病原菌に感染するのでは…という不安から逃れられません。

・「死に対する苦しみ」
この話をすると、けっこう皆さんびっくりされるんですけど、「人間の死亡率は100%だ」って知っていましたか?
そうです。生まれたからには、死ぬ運命にあります。それは、誰も逃れられません。どんなに死を遠ざけようと思って頑張って生きてもせいぜい120年くらいでしょう。長いように思うかもしれませんが、永遠からすると本当に短いものです。
人の一生は結構短いです。そして確実に1日1日と死に向かって生きています。それは、どんなに修行を積んでも逃れられるものではありません。自ら命を絶つことはいけませんが、死なないことにこだわるのは、苦しみを増します。

それらの4つの苦しみを「四苦」と言います。
「八苦」は四苦にプラスして、あと4つの避けられない苦しみがあると言います。

・愛別離苦(あいべつりく)…愛する人と別れる苦しみ
 人は誰でも、愛する誰かと死別します。親であったり、子供であったり、かわいがっていたペットであったり…。
 また、本当に大好きな人と別れなければならなかったり、思いがかなわなかったり…。

・怨憎会苦(おんぞうえく)…怨み憎む人と出会う苦しみ
 人生の中で自分を傷つけるような人に必ず出会うものです。
 それが、意図的かもしれないし、知らずにやってしまったことかもしれません。
 人は、相手を赦せずにいるときに、苦しむものだと思います。
 そう簡単には赦せない出来事に出合うものです。

・求不得苦(ぐふとくく) … 求めるものが得られない苦しみ
 ほしいものがすべて手に入る人はいないでしょう。
 物質的には可能だとしても、不老不死や、場合によっては人が絡むとどうしようもないことはあります。

・五蘊盛苦(ごうんじょうく)…物質的、精神的、あらゆる苦しみ
 臭かったり、耳障りだったり、目障りだったり、痛かったり、苦しかったり、まずかったり…
 五感があるだけでも、人は苦しみます。
 また、精神的なストレスを完全に避けることはできません。
 生きること自体が苦しみを生みます。

この「四苦八苦」の音を数字で表すと「4989」になります。
4×9+8×9では、108になります。
仏教では、人間には、108つの煩悩(欲)があるとして、それを清めるために、大みそかに108つの除夜の鐘を鳴らすという説もあります。

そして、その欲があること自体が人の苦しみを生むとされ、その欲を無くしていくことが大切であり、そのために修行をします。つまり、修行とは、苦しみから抜け出し、苦しみのない、穏やかな人生に向かう方法ともいえましょうか。
こうしてみると、人間の苦しみは何千年も前から変わらすにあり、生活が豊かで便利になったところで、少しも苦しみから解放されていないように思います。

~つづく~

子育てとインナーチャイルド。私の体験。

親の子供に対する虐待のニュースをよく目にします。
亡くなられた子供、残された子供…本当に心が痛みます。

誰でもそんなひどい親になろうなんて思ってなかったと思います。
優しくて、心強い、素敵な、良いママになりたい♡って思っていたと思います。かつての私のように…

私も子供が泣けば、優しく「どうしたの?」と声をかける、子供は安心して「ママ大好き」なんて言ったりして…。それに、なにか悪さをしても、毅然とでも優しく諭す …なんてことをイメージしていました。

でも、現実は違っていました。 
泣けば、
「なんで泣きやまないの?」
「いつまで泣いているの?」
「こんなに一生懸命にやっているのがわからないの?」
と、イライラいしてしまい、まだ首も座っていない子に愚痴ったり文句を言ったりしてました。
抱いている手を離したら楽になるかな…なんて思ったことも1度や2度ではなかったです…
もちろん、その手を離さなくて良かったと、心から思っています。 

完全なマタニティーブルー。
とても、穏やかで楽しい育児なんかでは、無かったです。 

もともと、楽天的でプラス思考で、どんな逆境の中でも楽しいことをみつけらる、この私が…です。
全く自分の感情、テンションがままならない。
 
ほとんど毎日泣いていました。泣きやまない赤ちゃんを抱っこしながら「なんで泣くんだよ~、ミルクもあげておしめも交換したのに~、ちゃんとやってるじゃない!泣きたいのは私だよ~ 」って…

また、3歳前後の反抗期のころは、子供相手に本気で怒鳴ってしまい、ほんとうに大人気なくも、その気持ちをおさめることがまったくできませんでした。 
「あんたなんか知らない。勝手にしなさい」
って何回言ったでしょう。 
もう、マジギレ…です。

なんでそうなってしまうんでしょう。 
後で冷静に考えると、そんなに言う必要も、そんなのカッカする必要も無かったことです。
育児書にも、そういう時はこんな風に対応するといいって、いろいろ書いてあります。
頭ではわかっているんです。
でも、気が付くと怒鳴っている…。

もうこんな状態耐えられない、子供なんて生まなければ良かった …なんて思ってしまうこともありました。
思わず言ってしまう場合もあるでしょう。

子供の寝顔を見ると「なんてこと考えたんだろう。ひどい親だ」
って思う、思うけど、また同じ繰り返し…

そのころ、「インナーチャイルド」って本がでました。
アダルトチルドレンとか、ノンフェクションとしての多重人格者の話や、親からのひどい虐待にあった人の話とか…図書館に通ってはその手の本を読み漁り、自分の中に起きていることの理由とか原因とかを探していました。

そして、子供のころに傷ついた自分が時が止まったまま、自分の中にいるってこと、そして、その、自分の中の傷ついた自分が泣いて怒って騒いでいるから、感情が暴走してしまっていることがなんとなくわかってきました。

傷ついて癒されないでいると、日常生活のなにかがスイッチとなり、自分の中の傷ついた子供=インナーチャイルドがグンッと大きくなり、感情や行動を支配してしまって、冷静な大人の行動ができなくなってしまうんです。
その状態だと、子供が子供を育てているような感じかな。

そうなのか…って思って、自分自身を観察してみると…
子供が泣いて、抱っこしてあやしているとき(でも、なかなか泣きやまない)

あれっ…自分の中で子供が泣いている感じがする…{/eq_2/}

私が生まれたころは、いわゆる抱き癖が付くから、泣いてもほっとく…っていう欧米式の子育てが流行ったそうです。
しかも世の中は高度成長前夜のまだ不況の時代。
とにかく、食べるために稼げ…という時代だから、心とか内面とかが後回しになっていた、食べるため、生きるために精一杯で、それどころじゃなかった時代。
その育児法は仕事に家事に忙しい母にぴったりはまったようです。

で、私は、泣いたらすぐに抱っこしよう…って育児法にはまっていたから、泣くと抱き上げ優しく子供にかけようとするんだけど…
なんか、イライラムカムカする。
実は、この
「なんか、イライラムカムカする」
が、インナーチャイルドの気持ちなんです。
そして、内面に意識を集中してみると、泣いているんですね。泣きながら怒っているイメージなんです。

そんときに思ったのは、「インナーチャイルドが子供にやきもちを焼いている」でした。

「私は泣いてもほっておかれた。でも、我慢したもん。だから我慢させなきゃいけないんだよ~~~」

って、文字通り叫んでいるイメージが頭に浮かびました。
自分の中にインナーチャイルドを意識した初めての経験でした。

どうしたらいいのかわからなかったけれど、泣いているんだから、あやそうって思ったんですよね。
それで、自分の子供を抱いているときにそのままの手やからだの感触を自分の内面にイメージしました。そして、誰かに抱っこされているイメージを自分の体に持とうとしてみました。
大人の親の自分が、子供の自分をあやす…ってイメージしてみたんです。
それを、子供が泣くたびにやってみたんです。

そして、しばらくして、傷ついた子供のころの自分(インナーチャイルド)の気が済んだら
もう、子供が泣いても抱っこしても、イライラムカムカとは、しなくなりました。

あぁ、そうか、子供を育てるように自分の中で泣いている子供を育てていけばいいんだ
ってその時に思ったんです。

誰でも、良い親、良い妻、良い嫁になりたいと初めは思うのだと思います。
でも、どこでずれてしまうのでしょうか?
インナーチャイルドは、虐待を経験したような特別な人のためのものではありません。
誰の中にでもあるものです。
完璧な大人はどこにもいません。少なくとも私はお目にかかったことがありません。

インナーチャイルドが叫んでいる!」という本もとてもわかりやすいです。
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プロフィール

くるりん 村上

Author:くるりん 村上
日本人が元々もっている内照するような感覚を日常に取り入れてみると、自分を客観視することができ、自分の考え方の癖に気がつき、見えてこなかった真実に気がついてきます。私たちのほとんどは、自分の人生を自分の足で歩いていないのです。世間体とか周りの人たちとか、みんな…という誰かの価値観の中で生きています。でも本来私たちは愛の存在であり、愛に包まれています。だから、私たちはもっと自由に自分らしく生きても、いいのです。
くるりんでいうところのインナーチャイルドとは?
ホームページはこちら。
http://kururin.wix.com/p-kururin

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