春の予感…花粉症その2

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昨日は、東京でも雪が降り積もりました。
寒い日が続きます。

さて、花粉症についてですが、レメディーだけでなく、マザーチンクチャーにもとても良いものがあります。
『サポートφAI』は、ペットボトルの水に入れて、飲んでよし、洗面器に水を張りそこに数滴入れて、目をぱちぱちしてもよし、湿布してもよし…、目にとてもいい優れものです。

眼球を取り出して洗いたいくらいかゆいときに、試してください。
疲れ目にもいいですか、パソコンやスマホを常に見ている人には欠かせないですね。

また、マザーチンクチャーのユーファラジアやスーヤも花粉症の症状が出ているときにいいですよ。
500mlのペットボトルの水に10滴適度いれて、シャカシャカふりながら、ちびちび飲んで、1日かけて飲みきるくらいの感じで飲んでください。1日に何度もリピートするのがいいです。一気に飲まないでね。

さて、花粉症はホメオパシーでもかなり難しい領域になります。
セルフケアだけで完治する方はなかなかいないでしょう。
複雑になっているマヤズムが関係しているので、ホメオパスにきちんとかからないと無理でしょう。
また、心のケアも必要になってきます。
きっかけになった出来事があることが多いです。メンタル面を無視することはできません。
私は、震災の1ヶ月後に花粉症が再発しました。
心も傷もしっかりと癒していく必要があります。数年かかることも多いです。
ホメオパシーは、心と体の両面から取り組む療法です。
長年花粉症で苦しんでいる方はぜひ、ホメオパスにかかってみることもご検討ください。

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春の予感…花粉症その1

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数日前に暖かい日がありました。あぁ、春もまじかかしら…と思っていたら、今度は急激に寒くなり、雪も降るかもしれないという天気予報…。まだまだ先のようです。

でも、スーパーに買い物にいくと、季節商品の棚には、『花粉症グッズ』が…。そう、花粉症の方は、もうこの時期に対策を始めなければなりません。

ホメオパシー的には、まずそろそろ『スプリングKセット』を手元に置いておきましょう。
それと、整腸を考えたいところ。そこで意外といいのが、『お受験セット』。脳と腸とそして、鼻の奥には深い関係があるのです。実際に、鼻炎で鼻が詰まっていると集中力がなくなりますよね。

それから、花粉症とインナーチャイルドの関係も見逃せません。
泣くのを抑圧してきた人は、鼻で泣きます。
RX Force200や、RX Toraも見逃せません。

それから、キットからは、鼻の下や周りが荒れてしまう方は、Ars.が欠かせません。
目がものすごくかゆくなる方は、Euphr.が良いです。
余談ですが、薬大好き病院に行くの大好きな父は、ひどい花粉症で毎年病院の薬のお世話になっていますが、このEuphr.だけは、手放しません。とくに車を運転する時は必需品です。
あと、玉ねぎを切った時のような涙、鼻水には、All-s.。
最後に、忘れてはならないのは、Mixed-poll.と Mixed-poll-g.です。

…続く…

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なぜ話が食い違うの?

どうやら、人というのは、推測で話を聞くらしい。
単語だけでは、音を聞きとれないが、文章にするとちゃんと聞こえる…という現象がある。
良くある名前は1回で聞き取れるのに、珍しい名前だと、何度も聞きなおしたり、かなりゆっくり話してもらわないとわからないという経験は誰でもあるだろう。

人は、聞き取れなかったところを無意識のうちに推測して聞いているということらしい。
視覚的なもので、アモーダル補完というものがある。

たとえば、下の絵は塊が点在しているように見える。
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お互いにまったく関係性がなく、ばらばらに置いてあるようにみえるだろう。

それが、下記では違って見える。
img_3.jpg

ちょっと大きさが違うので、わかりずらいかもしれないが、左の図のように板を書くと、その向こうに四角い形が見えるだろう。(詳しくは、ネットで調べてみてね。)
上の図と同じ形であるにも関わらず、ばらばらに見えていたものが、つながって見える。
それは、たとえば、森で木々の向こうにいる動物を判別できるような機能。
分断された形を、経験から判断して補っている。

聴覚にも同じような機能がある。
聞き取れなかったところは、経験から無意識のうちに判断して、脳が勝手に補っている。

そこに思い込みが入ると、もうそうとしか聞こえない。

たとえば、
A「10時にまちあわせね」
B「わかった、11時ね」
A「違うって10時」
B「だから11時ね」
という聞き違いとか、実際に違う時間に行ってかなり待たされたり。

だから言った言わないは、あてにならない。
自分の思い込みで、相手の言ったことが本当に聞こえていなかったり、都合のいいように聞こえてしまったりするものである。

この補完をせずに聞くのは、日常的には難しい。会話が成り立たなくなってしまうだろう。
書いて確認、わかったことを反復する…ということで、ずいぶん防げるだろう。
まぁ、自分がちゃんとわかった…と思っていることはあまりあてにならないということかな。
自分を過信せずに、きちんと確認をしたほうが、トラブルはふせげるだろうな。

不安定な天候で体調の悪化には…

今日は、久々に暖かい日になりました。
日中は上着を着ていると暑いくらいです。
でも、朝はとても寒く、明日からまた寒くなりそうです。
寒暖の差がとても激しい今日は、頭痛や耳鳴りや風邪が引きやすかったりと、体調が悪化する方が多いです。

私も以前はそうでした。
今日のような天気のときは、睡魔でとても起きていられなかったり、思考力が停止したりしていたものでした。
いつの間にか良くなっていたようで、今日はとても身体も軽く快調でした。

さて、ホメオパシー的には

天候の変化に対しては、
Bry.
Merc.
Nit-ac.
Nux-m.
Nux-v.
Phos.
Rhus-t.
Sep.
Sil.
Verat.

気温の変化に対しては、
Ars.
Cerb-v.
Caust.
Lyc.
Nux-v.
Phos.
Puls.
Rhus-t.
Verat.

身体の症状や基調をみて、いろいろ試してみて、自分に合うものをみつけてみてください。
なかなか症状が改善しない場合は、深いところをみてレメディーをとったほうがいいので、ホメオパスに相談してくださいね。

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神道における所作

昨日は、毎月1回の神事の日でした。
そのあとに勉強会があり、神式のおじぎの仕方など、基礎的なところを教えていただきました。

神道には、明文化した教えはないのですが、「丁寧さ」ということに関しては、とても大切にします。
自分では丁寧だと思っていても、人からみるとそうでもなかったり、人からみて丁寧と思っても、神様からみるとそうでもなかったり。まだまだ極めようとすると、もっともっと先があります。丁寧でありすぎることはありません。
神道の学びには、終わりはないのです。さらにもっと先、さらにもっと先…。
生きることもそうです。もっと丁寧に生きる、さらに丁寧に。これでいいということはないのです。

神職の方の所作は、とても美しいものです。
歩く姿、立っている姿…、神社でお祓いなどをしていただいて、まじかにご覧になった方は、ご賛同いただけるのではないでしょうか?とくに伊勢神宮とか格式の高い神社での神主さんたちの立ち居振る舞いは、芸術的ともいえます。
極めるとは、とても美しい行為だと思います。

丁寧さが大切といっても、生活に根付いていなかったり、我慢が強かったりしたら、また違うのです。
気持ちが込められていなければなりません。
心をこめて丁寧に生きることは、心も体も軽くすがすがしくします。

でも、効率的ではありません。
結果をださなければならない、早く結果をださなければならない、効率よく良い結果を出さなければならない…という、世の中の流れには、乗れません。

人よりも豊かに暮らすことと、人としての幸せは、しばしば対立します。
では、あなたにとっての幸せはなんでしょうか?

たまには、凛とした静けさのある、時の止まったような神社に行き、ちょっと立ち止まってみてはいかがでしょうか。

振り回されない自分になるために

今日、ブログを読んだ人から、質問がありました。

暗中模索』という記事の中の「常にまわりを気にして、うまくやることだけを目的として生きていたら、楽しいだろうか?
うまくやろうとすることは悪くないが、それを最終目標としてしまうと、生きるのがしんどくなってくるように思う。
そして、常にまわりに振り回されるので、本当に疲れる。
しんどくて、疲れる…「ふー、長生きなんてしたくないな」って思っちゃっても仕方がない。

私も以前は、生きるのは、疲れるし、しんどいって思っていた。
でも今は、どんどん自分が変わっていくのは楽しいし、はやく終っちゃうのはもったいないって思うし、なにより、これからの自分が楽しみだ。50歳を過ぎてなお、自分の可能性を考えるとわくわくする。
生きている間、どこまでやれるのか…ますます楽しみだ。
」の部分について。

自分は、まさに、「生きるのは疲れるし、しんどい」と思っていて、「長生きなんかしたくない」って思っています。
どのようにして「これからの自分が楽しみだ。50歳を過ぎてなお、自分の可能性を考えるとわくわくする。」ように変わったのですか?どうやったらそうなれますか?

という質問でした。
う~んそうですね~。私もほんとそうだったんですよね~。なんでそんなに苦しかったのでしょうね~。
実はその秘密は、くるりんのインナーチャイルドの癒しのレッスンにあります。
古神道の奥義からいただいた教えを現在人にマッチするようにしたものがインナーチャイルドの癒しのレッスンです。
人として幸せに生きる方法が含まれています。

くるりんにくると、まず、自分にとっての幸せはなにか、どのような人になりたいのか…。それを見つめることから始めます。でも、それって案外難しいもの。どのような人になりたいかは、必死になって探さないと見つからないかもしれません。
自分の気持ちに素直になるためには、心の強さが必要になります。結構、難しいものです。

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発達障害だけの問題ではない

赤ちゃんの視力によって、学習方法が違くなり、その後の学習法が違くなる、その結果同じことを経験しても、その理解や見え方が変わってくることを、前回までに書いた。

生まれつき目が見えなかったり、耳が聞こえなかったりしても、世の中に対する感じ方は違うだろう。
まるでまったく違う世界のようだ。
同じ空間にいても、パラレルワールドのようにまったく感じ方が違う。

では、健常者として生きている人たちは、どうなのでしょうか?
同じ経験をしたら、同じように感じるし、話せば必ず共感しあえるものなのでしょうか?
私は、それは幻影に過ぎないのではないかと考えています。

どちらかに障害があり、あきらかに感じ方が違うとわかっていたら、そのなりの気を使ったり、説明をしたり、わかりあう努力に力を入れることもする。
習慣のまったく違う、外国人に対してもそうだろう。

はっきりとわかる程の違いがないと、同じように感じているだろうと期待したり、言わなくてもわかっているような気になったり、それくらい、わかるだろうと勘違いしたりしてしまうものだ。

実は私たちは、一人一人独特の学習法を持っているし、理解の仕方も受け止め方も違うし、どう感じているかはもう、全く人によって違うのだ…ということをけっこう見過ごしがちである。
私たちは、同じところにいながら、一人一人がそれぞれのパラレルワールドに住んでいる。
誤解と、期待感からくる思い込みで、わかりあっているという幻想の中にいる。
私たちは、思っている以上に主観的にみている。
そして自分で作った想像で自分を辛くしている。
私たちのコミュニケーションは自分が思っている以上に成り立っていないかもしれない。

ということは、発達障害の子から学ぶことは多い。また、さまざまな障害を持つ方から学ぶことは多い。お互いが理解しようとすることは、自分自身をより深く理解することにもなるし、自分を生きやすくするし、コミュニケーションを学ぶことにもつながるのではないかと思う。

私は、弱者を助けるという考え方が好きではない。弱者も強者もなく、違いがあるだけだと思う。
人は違いがあると恐れを感じる。だから自分を強く見せたがる。もしくは、過剰に面倒をみようとする。
実は私もそうだ。だから気をつけなければいけないのだが、過剰に親切にしようとする傾向がある。

そういうことではなく、それぞれが自分のステージで学びあいながら精一杯生ききる努力をすることが大切なのだと思う。

発達障害について…その3

先天的でないけど、発達障害的にみえるときの一つの原因に、親の学習法をそのまままねてしまった赤ちゃんの場合がある。大人の発達障害は最近言われ始めたことで、本人も周りも気がつかないままのときもある。そうすると、親の学習法は修正されないまま、赤ちゃんへと引き継がれる。

それから、両親のコミュニケーションをそのまま学習した場合もある。会話がない、否定的、相手の話を聞かない…というパタンをそのまま取り入れてしまった場合もある。家族全体が人との付き合いが極端に少ないと、修正する機会もないまま、大人になるだろう。

そのほか、あまりにも心労があり、集中していることができず、そう見えてしまうこともある。

以上は、私が日ごろの学習と臨床から感じたことで、専門家の見方とは違うかもしれない。
大切なのは全く未経験な赤ちゃんが獲得した学習法によって、日々起こることに対する理解の仕方が異なるということで、どちらもいいとか悪いとか、正しいとか間違っているとかではないと思う。
人との違いは、個性にもつながるからだ。
でも、本人が生きやすいかどうか、本人が幸せかどうかは、とても重要だ。

今の日本のように、違いを排除するような、違うことでいじめられるような風潮では、生きにくいと感じる方のほうが断然多いだろう。とくに、本人も家族も発達障害と気がつかないまま、生きずらさを感じているとしたら…。わかってもらえない孤独感、伝わらないもどかしさもあるし、頑張っていることがわかってもらえないし、本当に辛いと思う。

発達障害がわかれば、その子の得意不得意を見ながら、専門家によるいろんな訓練もできる、自分も周りも、接し方も伝え方も変わるし、違うことを感じていることも理解しやすくなる。

その1で書いた通り、『発達障害』ときくと、『知的障害』と混同させてしまいがちである。だから、それまでの人生をそれなりに、特に優秀な成績という評価を受けて生きてきた大人が、「自分は発達障害かもしれない」とか「家族が発達障害かもしれない」と思うことはなかなかできないことかもしれない。
でも私は、現実をきちんと受け入れてしまうことで、乗り越えられる辛さもあるのではないかと思う。

それから、大切なのは、自分と違うやり方、とらえ方、学習法があり、どちらにもメリットとデメリットがあると理解することではないだろうか。どちらかのやり方に合わせるのではなく、お互いが学びあう、補い合う、お互いが理解しあうよう努力する、そして違いを認める、できないことやそのつもりがないのに傷つけてしまっていることを許しあう…ということを学ぶことではないだろうか。

私は、発達障害の子のいるお母さん方のお話から、親の教師としてこの世に降りて来たのでなないか…と感じている。
なぜなら、優秀な子を持つご両親より、より多くのことを子育てから悩み、悩みを通じて学んでいるご両親が多い。
夫婦のあり方もより協力し合い、信頼しあう関係になっていく方が多い。
子供から学ぶことは多いが、親が学ぼうとしないと、辛くなっていくだろう。以前の私のように。

続く

発達障害について…その2

一般的に幼いことが受け入れられる、という事の一つの例は『かわいい』だろう。
かわいく自己表現するのは、別に異論はないが、中身までかわいいままだと、本人自身がメンタル的に辛くなる。

幼い子供は保護してくれる人を必ず必要とする。
大人で中身までかわいいということは、弱い部分がある、つまり打たれ弱くなるということだ。
大人になっても幼いままだと、保護してもらうために気に入られなければならなかったりする。
だから、好きなようには生きられない。自分のやりたいこと、言いたいことを我慢しなければならない。
また、見捨てられたり、ほっとかれることに対して、敏感に反応し、不安になったり、いちいち怒ったりする。
なのでどうしても情緒不安定になりやすい。というか、まわりの人に感情を振り回されて、自分で情緒を安定させることができない。一度感情が乱れると、誰かの助けなしに浮上するとができない。
まったく不便だし、不自由極まりない生き方だと思うし、それが一生続くとと思うと、常にだれかがいなければならないので、不安で仕方がないと思うのだが…。
そのような生き方が好まれる世の中というのは…、平和で幸せな証しとも言えるのかもしれない。

さて、少々脱線してしまったが、先天的な場合いろんなケースがある。
まだよくわかっていない部分もあるようだが、脳の機能の一部になんらかの問題がある場合もあるようだ。
また、生後の視力に関係することもあるようだ。

生後しばらくは、赤ちゃんは極度の近眼でまわりのものがはっきりみえない。
そのことが他の人とお母さんと判別するために大切になってくる。
ぼんやりとしか見えないと、どこに焦点を合わせようとするかというと、顔のパーツでも一番大きな割合のある、『目』に焦点を合わせようとする。目の形や表情にの変化に敏感になり、他の人とお母さんとの区別がついたり、目の表情から読み取ろうとしたりするような学習法が身についてくる。はっきり見えるようになっても、目を中心として全体をみるので、人の表情から心情をもみとるような、つまり「空気を読む」学習をしていく。

しかし赤ちゃんの中には、はじめからはっきりと見える子もいる。
その場合、顔の中でも、一番動きのある、『口』にどうしても視線が行ってしまう。
そうすると、先ほどの近視のあかちゃんと違う学習法が身につく。
目をみて話す習慣ができないので、口調や文字通りの理解から学ぼうとする。つまり「空気を読む」ことができなくなる。
みんなと学習法が違うので、他の子と違う発想になってくるし、とらえ方も、見え方も違うので、他の子がわかることが理解できないし、自分が行っていることを理解してもらうのが困難になる。
また、口元みる習慣がつき、全体を見れないので、人を個性的な違う人間だと認識することが難しい。どこをみて区別したらいいかわからないかもしれない。結果として、コミュニケーションがとりにくい子になっていく。

つまり、生まれたときに高い能力を持っているために、経験したことを学習するときの学習法が違くなってしまうために、他の子と違う発達をしていく…という形での発達障害もある。

それから、先天的ではないけどそう見えてしまう発達障害的なこともあるようです。

続く

発達障害について…その1



大人の発達障害がいろんなところで取り上げられているが、専門の機関も少なく気軽に相談できる窓口が少ないように思う。一口に発達障害といっても、いろんな状況の方がいる。あと、知的障害とは違うので、勉強は普通にできていたり成績が良かったりするので、余計生活の中での不具合が目立ってしまう。
でも、発達障害と聞くと、一般的には、知的障害と混同されているのではないだろうか?
なので、大人の発達障害が話題になっても、なかなかわが子を「そうかもしれない」と認識してみることは難しいように思う。本人が気がつくことができればいいのだが、家族がまずそうかもしれないと思ってみるというのは、意外とできないことではないだろうか。それで、さらに見過ごされることのほうが多いのではないかな?

様々なケースのクライアントさんをみていると、先天的な発達障害の方と、そう見える人がいるということに気がつく。簡単にいうと精神的に幼い、成熟していない方だ。少し前はピーターパン症候群と言われていたが、最近の風潮では、年をとることが良くないことのように感じられ、幼いほうがむしろ良いこととして受け入れられているように思う。なので、変える必要のないまま現在に至る…ということだろうか?

続く
12 | 2015/01 | 02
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プロフィール

くるりん 村上

Author:くるりん 村上
インナーチャイルドの癒しのレッスンをしています。自分の考え方の癖に気がつき、目線を高くすると、見えてこなかった真実に気がついてきます。私たちのほとんどは、自分の人生を自分の足で歩いてはいません。世間体とか周りの人たりはみんな…という誰かの価値観の中で生きています。でも本来私たちは愛の存在であり、愛に包まれています。だから、私たちはもっと自由に自分らしく生きていいのです。その後に本来の自分の本当の姿が見えてきます。そうすると自分自身の足で自分自身の人生を歩き出すことができます。
その人特有の考え方の癖もインナーチャイルドなんです。
まだ作成途中ではありますが、ホームページを作ってみました。
http://kururin.wix.com/p-kururin

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