今日が締切りです

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昨日、師匠と兄弟子たちとの参拝行から戻ってきました。
そこで感じたこと、学んだことは、自分の中でまだまだまとまっていませんが、常に私たちは神様仏様とともにあることを実感させていただきました。
目に見え、感じられることだけが全てではないのだけど、どうしても目の前にあることに囚われ、迷います。
それでも、それぞれの段階で、それぞれが、それぞれの場所で、一生懸命に生きることが大切なのではないでしょうか?
人は一人で自らの道を歩んで行かなければなりません。
誰かに助けられたとしても、決めるのは自分でしかできないのだから…。

さて、長野県諏訪湖半で、12月2日に行われる、くるりん企画の締め切りは今日です。
参加したいけど、まだ申し込んでいない方は今日中にメールをお願いします。
また、まだ参加できるかどうか確定していないけど、検討中という方もご一報いただければと思います。

詳しくは、『12月2日は予定が盛りだくさん』のページをごらんください。

 朝の坐禅会への参加
 くるりん企画勉強会「香りと霊性」
 諏訪大社参拝

各個別での参加が可能です。
お問い合わせとお申込みは、下記へお願いします。
くるりん事務局メール
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「知性」について その2

大人の勉強が子供の勉強と違うのは、学校で習う勉強は、答えがわかっているもの、確実に答えがあることしか勉強しないと思います。でも、生きていくために必要な学びのほとんどは、答えの無いもの、答えのわからないもの、答えがあるかどうかすらわからないものがほとんどだということです。

人生や生き方を学んでいるときでさえ、さも、答えがあるかのように、
「それで、私はどうしたらいいでしょうか?」
と聞いてくる人も多いです。
また「こうするといいんでしょう?」とそれが正解のように言ってくる人も多いです。
でも、残念ながら正解はありません。

むしろ学校では、学ぶのに必要な基礎知識や、学び方を学ぶためにあえて答えのわかるもので練習しているともいえます。
知性を働かせた考え方の練習、理性を働かせるための練習ともいえます。
宿題などは、自由に使える時間の中で、あえて「やりたくないこともやらなくちゃいけない」練習ともいえるかもしれません。
なにも子供を縛り付けるためにあるんではないと思います。
それから、やらなくちゃいけないことをやらないと、結果は自分に降りかかってくることの学びかもしれません。
それは、罰ではなく、結果は自分が引き起こしている…原因は自分にあるということで、結果が怒られるという嫌なことでも仕方がない、と自分の責任として受け止める練習ともいえるかもしれません。

私は、以前は、学校の制度に対して批判的でしたが、今は、悪いものではないかもしれない…と思ってきています。
その中で重要なのは、どう学ぶか…で、そこで優秀であるかどうかではない…ということだと思います。
ただし知能指数や偏差値にこだわってしまうのは、どうなんだろう…とそこには疑問を持っています。
理性や知性だけ働かせて、自分の心配や後悔や人に傷つけられた過去ばかりに思考を凝らしているのは、前頭葉だけで生きているような感じです。

坐禅を組んでいると良く分かるのですが、知らないうちにたくさんの事を考えています。
思考を巡らせています。寝ても覚めてもこれだけの事を普段から考えているのだな…というのが、わかります。
そして気が上がっているのがわかります。
「あ、これは禿げちゃんうんじゃないかな?」…と心配になってきます。そう思うほど、エネルギーが頭の前頭葉や頭頂に集まっているのを実感します。
以前、抜け毛がひどかったのもうなずけます。たくさんの心配やら後悔やら、いろんな不満やらで一杯だったですから…。

学ぶ喜びや知る喜びなどの感動は、体験を通した学びの中で身についていくのだと思います。けしてパーチャルな世界や机上の勉強だけで学びきれるものではありません。
頭で考えているだけでちっとも行動しない人、いろいろ心配ばかりして実行しない人は、パーチャルの世界、つまり自分の想像の世界の中でしか学んでいないことになります。
それはとても狭い範囲での学びではないでしょうか?
私は、いろんな人と接したり、いろんなことを経験するという体験により、想定外のことから学ぶことがとても大切だと思います。
そして体験から学んだものをちゃんと理解するために、本から学んだり、人から教えてもらったり、表現力を身につけたりすることは、さらに大切だと思います。そして身につけていくための習慣が必要になってくると思います。

------『「忘却」は人間の知恵』に続く

「円熟」とは、人としての成長…の前に、「知性」について その1

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情動の赴くままに行動するのではなく、理性を働かせるには、ある程度の知性が必要になってきます。
知性というと知識を入れるということになると思います。
しかし、知識だけでは行動と結びつきません。
人より知性がある人、知識が豊富な人で、理性が効かず情動のまま行動してしまう人もいます。

また知性だけに偏ってしまうと、成功した人生は手に入ると思いますが、しみじみと味わう人生を手に入れることができるでしょうか?
学ばないとわからないことは多くあります。
自分の考えと違う人がいる、自分と全く違う感性の人がいる、なども、学ばないとわからないことでしょう。

ただ学び方にも違いがあると思います。

人との違いに対し、相手を責めるために、自分を正当化するために知性を使う場合、人を傷つけ、孤立してしまう傾向があります。

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相手を責める気持ちは無くても、自分を守ろうとすると、自分を正当化しようとすると、結果として、相手を悪いと攻撃していることがあります。本人は、そんなことは考えず、ただ自分を守ることだけ考えているので、知らずに相手が傷つけてしまう結果になっていることに気が付きません。「攻撃は最高の防御である」ということばもある通り、攻撃は防御の一つの形です。
ということは、人に対して攻撃的な人、批判的な人、すぐ怒る人は、自分を守りたい意識の強い人ともいえます。
怒りっぽい人は強く見えるけど、まるで弱いということをアピールしているようですね。

そういう学び方ではなく、人を許すため、違いを受け入れるための学びは、人との関係を良好にし、いろんなことが円滑になり、自分自身を豊かにしてくれます。

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理性も働きやすくなるでしょう。
そして、人を許すための学び、人との違いを受け入れるための学びは、情動を否定するのではなく、うまく使うやり方、そのエネルギーの持って生き方を学ぶことにもつながります。けして否定するのではありません。
心豊かに生きて行ける学び方ともいえます。

机の上だけの学びではなく、いろんな体験、体感…といった学びは、まさに肉体なくしては為し得ません。
たくさんの学びが出来るというのは、生きた甲斐があるというものです。
心豊かにする学び方、人を幸せにする学び方が出来る方は、学ぶことの楽しさを知ることにもなります。

探究心は子供だけの特権ではありません。

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私は、専門外で詳しくは無いのですが、最近の脳科学では、いくつになっても好奇心も学習能力も衰えないという学説もでているようです。なので子供にだけ「勉強しなさい」というのは、もったいないですね。
ぜひ一緒に勉強する時間を持って欲しいなって思います。

「理性」と「情動」の絶妙なバランス「感動」 その2

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感動というのは、情動の動きだけでなく、ある種の学習があって初めて感じる感情の動きだそうです。
食レポの上手な人のコメントを思い出していただけるとわかりやすいかもしれません。
ただ「おいしい」を連発しても、そのおいしさは伝わりません。
言葉で豊かに表現するということが必要で、理性、思考があってはじめて感動が生まれます。

絵画も音楽もそうですが、構図や構成、そしてある程度の技術的な知識があると、その繊細さ、素晴らしさが、ひしひしと伝わり感動を生みます。そこに、作家に対する情報があると、苦しみながらその作品が生まれた…という理解があり、さらに感慨深く感動する…ということはよくあることです。
そして、その感動を人に伝えるときは、その溢れるような感情をそのままのテンションで表現するより、ぐっと理性で抑えて表現した方がよりその人の感動が伝わることもあるでしょう。
そのままのテンションで話しても、「なんか興奮して話しているな…なにを話しているか良く分からないけど、楽しそうだからいいか」みたいな感じになってしまうことが多いです。
それより、しみじみとかみしめるように表現したほうが、伝わりやすいことが多いのではないでしょうか?

ということで感動は情動と理性がバランスよくあって初めて成り立ちます。
情動のままに生きていると、あとあとトラブルになったり、関係が壊れてしまったり、人を傷つけたりします。
例えば、怒りをそのまま表現している人をよく、「自分に正直に生きている人」と思うようですが、どうも、トラブルが多く、仕事も長く続かず、自分の首をしめているように見える人が多いです。
それより、怒りながらも、理性を働かせ、うまく相手に表現できたら、いい関係を続けながら、自分の気持ちも伝えられる…と言う方が、自分が生きやすいですし、相手も楽に話せるのではないでしょうか?

私は、情動に振り回される生き方より、どちらかと言えば感動できる生き方をしたいな…と思います。
そして、年齢を重ねるごとに、感動の人生もいいけど、もっとしみじみとした生き方がいいように感じるようになりました、
感動は人を動かす力を持っていはいますが、なんかまだちょっと青いように思うのです。
若いうちはいいのですが、年とともに「円熟」という言葉が似合う人がいいな…と思うようになってきました。

------『「円熟」とは、人としての成長』へ続く

「理性」と「情動」の絶妙なバランス「感動」 その1

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情動だけでは、それぞれがやりたいようにするし、その場かぎりの行動で、のちのちトラブルになることをやってしまったり、なんだか生きにくそうです。

よく、マイペースに行動している猫になりたいと言っている人はいますが、本当に猫社会に入りたいとは思っていないと思います。
そうじゃなくてマイペースでいられない現状にストレスを感じているということだと思います。
猫もマイペースにみえるけど、本当に猫になったら、なったで大変さはあるでしょう。
猫になりたいのではなく、不自由さを感じているこのストレスを感じたくない…ということだと思います。
なら、好き勝手生きたらいいのに…と思いますが、そうなるとまったくの孤独になると思います。孤立してしまいます。
よく自由を好き勝手にやるということと同じだと思われがちですが、自由にはのびのびしている感じがあると思いますが、孤立とか孤独という言葉の響きにのびのびした感じを感じられるでしょうか?
私は、窮屈さを感じます。

人と関わり、お互いが心地いい距離感を保てたときにやっとのびのびした感じを味わえるのではないでしょうか?
よく、一人でいるのが好きだという人がいますが、けして孤立しているわけではありません。ただ距離感がちょっと遠いだけだと思います。

そう考えると、のびのびした自由さを感じたり、自分が楽に生きれるようにトラブルにならないようにするためには、情動に流されることなく、理性を働かせることが大切だということになります。
しかし、理性だけでいきると、なんとも無味乾燥な人生で、とても退屈な一生になり、はやく終わらないかな…と思ってしまいそうです。自殺するほどの強い思いもなく、積極的に生きることもできず…生きている実感のないままただ生きているだけ。
そんな若者が最近おおいように感じます。
結婚も、恋愛も、めんどくさい。友達も別に必要ない。出世欲も向上心もなく、仕事もそこそこでいい。無難に生きたい…
悪くはありません。ありませんが、それで本当に納得できればいいのですが、けっこう満たされない思いで苦しんでいる人は
多いです。グルメやパワースポット巡り、自然の中に出かけてみたり…その場限りで満たすことでごまかしているけど、ごまかしきれない方も多いでしょう。

そんな方は、理性で押し殺していた感情を取り戻すことが今度は大切になっていきます。
それは、情動に振り回される形ではなく、感動できる心を取り戻す…ということになると思います。

12月2日は予定が盛りだくさん

今年もあとわずかですね。
なんだかんだとあっと言う間に12月です。あれもこれもやっていない…と、気持ちもそぞろになりがちです。
そんな12月のひととき、ちょっと立ち止まってみませんか?

きっかけは、いつもいく久保寺で、毎年12月は1~8日の間、毎日朝と夜に坐禅会がある…と、きいたこと。
そして朝の坐禅会の後は朝がゆがでるし、諏訪湖を一望するお寺から朝日が上がるのをみられるっていうのを聞いたこと。
せっかくなので、声かけして、その後、勉強会もやろうかな…
せっかく皆と行くなら、諏訪大社も行きたいな…
と、思いついたことです。

以下に案内いたします。
個別に参加していただけますが、必ず、お申込みください。

お問い合わせ&お申込み
くるりん事務局メール





朝の坐禅会

ひたすら仏様の前で坐り、今、ここにいることだけに集中する時間。
忙しくめまぐるしく、目の前のことに振り回されて1日が終わってしまうような日常を送っていると、いつの間にか自分が枯渇していくような気持ちになっていきませんか?
ふと我に返ると、そんな無味乾燥な日常で一生が終わってしまうような不安にかられたりしませんか?

ほんのいっとき日常から離れ、ただ自分と向き合う時間。
ちょっと立ち止まり、自分の立ち位置、これからの進む道を見つめる時間を持つことは、現在社会に生きる私たちに、とても大切なことなのではないかと思います。

場所 : 長野県岡谷市湊 久保寺(きゅうほうじ)
日時 : 12月2日(水)朝5時半~

※参加ご希望の方は、25日までに必ず事務局までお申込みください。
 事前にお渡ししたい資料がございます。

※久保寺では、1~8日まで、朝の部5時半から、夜の部19時から毎日行われるとのことです。

久保寺

久保寺は、臨済宗のお寺で、諏訪湖を一望できる、すばらしい立地条件のところにあります。




くるりん企画勉強会「香りと霊性」
講師 : 自然療法サロンPole Pole代表 後藤 佳世先生

お寺に行くと、ふっといい香りがして、心癒されることがあります。
お線香の匂い、お香の匂い…
お香には、場を清め、死者や生きている私たちの心を鎮める働きがあります。
実際に私も、ふっと柔らかい香りで、心が落ち着いたり、明るい気持ちになったりします。
今回、そんな香りと霊性との関係について、アロマテラピストでもあり、修行仲間でもある、自然療法サロンPole Pole代表の後藤 佳世先生に依頼することにしました。以前から、たくさん知識をもっていて、たくさんの臨床経験もお持ちなのに、あまり人前で知識をひけらかすこともないので、一度ちゃんと講義を聴いてみたいと思っていました。まさに能ある鷹は爪を隠す…です。
今回、坐禅会にもご参加いただけるということなので、厚かましくもお願いしちゃいました。
実は、私が一番楽しみにしているかもしれません。

場所 : 諏訪湖ハイツ
日時 : 12月2日(水) 9時~10時半
参加費: 2000円(事前振り込み)

※27日以降はキャンセル料が発生いたします。

定員になり次第、締め切ります!

アロマテラピーのことを知らない人も、アロマセラピストも、興味を持って聴ける内容なのではないかと思います。
会場は、12時までとってありますので、勉強会後の交流もできます。東京からも多数参加者がいますので、こんな機会はめったにありません。ぜひとも、ゆっくりしていってください。




午後の予定は参拝と観光

ここからは、参加は自由です。実費を各自支払っていただく以外の料金はかかりません。
ただし、待ち合わせや当日の連絡もあるので、必ず事務局へメールでお申込みください。

昼食を12時から。特に決めていません。お勧めの場所がありましたらお知らせください。

諏訪大社 下社 秋宮 と 春宮 参拝

その後、諏訪湖オルゴール博物館 奏鳴館 に行きたいと思ったけど、ホームページを見ると、どうやら休館らしい…

そしたら、本宮と前宮も行けるかな…・

参加者でお昼を食べながら考えましょうか。




では、私と一緒に諏訪湖を満喫しましょう。

「理性」の働き

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そんな生物的な本能やもともと備わった機能にブレーキをかけるのが「理性」です。
自分が思ったまま、感じたまま、「情動」のままに行動すれば、自分勝手な人で世の中は溢れ、秩序が乱れ、お互いが生きにくくなります。
やるかやられるか…の選択しかなくなります。まさに弱肉強食の世界…
それでは自分も生きた心地がしません。気を抜けません。リラックスできません。
ルールを設けることで、お互いが心地よく暮らせるようになります。

病弱な人や、弱い存在を守ったり、補助したりすることが出来るのは、たぶん人だけではないのでしょうか?
異質な思想や存在も、「恐れ」を克服し、理解しようとすることもできます。
そして、受け入れたり、許したりすることも、できます。
それが「理性」の働きでしょう。

また、自分で目標を持って、夢に向かって努力し続けることができるのも「理性」の働きが必要になります。
「情動」のまま、気持ちのままに生きていては、はじめは気持ちで取り掛かれるけど、何年も夢に向かって努力することはできないでしょう。「理想」を持つ…というのも、人特有のものです。

ちょっと話がそれますが、そう考えると、恋愛は情動だけでもできますが、結婚は理性がないと何十年も結婚生活を続けるのは難しそうですね。「恋愛と結婚は違う」と昔の人が言っていたのは、あながち間違いではないかもしれません。

さて、理性を働かせるためには、学習が必要になります。
ある程度の知識・知性がないと、理性を働かせることはできません。
ルールを守るためには、そのルールを覚えなければなりませんし、なぜそのルールが必要なのかを理解することも大切でしょう。そのためには、理解するだけの知性が備わっていないと、いくら教えてもらってもルールを守ることはできません。

ということで、内面から湧きあがってくる「情動」をコントロールできるのでは、「理性」になります。
理性的な人は、安心して関わることができます。
では、知識を増やし、理性的に生きることが、人としての生き方でしょうか?
理性的に生きることでは、人としての幸福を約束してくれるのでしょうか?

生きている実感は、喜怒哀楽という情動無しには、得られないような気もします。
かといって、情動だけ、自分の感情だけに任せた生き方では、トラブル続きで心の平安も得られす、悲惨な人生になってしまいそうです。

------『「理性」と「情動」の絶妙なバランス「感動」』へ続く

「異質な存在」を排除する傾向

話は少しそれますが、生命には、種族を存続させたいという本能があります。
自分の生命を維持させる、他に、種族を繁栄させ、存続させるために、いろんな働きが備わっています。
力の強い、魅力的な外見をもつ遺伝子が残るようになっています。つまりモテます。
弱い者は、弱い遺伝子を残せないように、弱肉強食で負けるようになっています。

いろんな環境の変化に子孫が対応できるように、自分の真反対の性質をもつ異性と惹かれあうように遺伝子に組み込まれています。人の恋愛でも、自分に無い部分を持っている人に惹かれる傾向があるのではないでしょうか。

そして、恒常性(ホメオスターシス)という機能が備わっていて、とりあえず生存を確保できている今の状況を維持するようになっています。たとえ、もっといい状況がおとずれても、変化させないようになっています。
ダイエットが続かない、習慣になっている煙草や飲酒がなかなかやめれない、暴力をふるうパートナーとの関係をやめられない、というのも、この恒常性が大きく関わっています。

それから、異質な存在を受け入れないようになっています。自分と違うものは、想定外のことが起こりうるので、本能が危険とみ感じます。積極的に排除して自分たちの生活空間に入り込めないようにします。

以上のことは、本能のなせる技で、簡単に良い悪いで判断できることではなく、ただそういう仕組みになっている…ということだと思います。

人も生物です。そのような遺伝子や本能が備わっていて、自分でも意識しないうちに感情や思考に影響を与えています。
なので、どんなに穏やかな人でも、優しい人でも、出来た人でも、尊敬できる人でも、自分勝手で人に対していじわるな気持ちを持ったり、理解できない人を嫌だなと思ったり、生理的に嫌いな人がいたり、残忍な部分があったり…
生物である以上必ずあると考えていいと思います。

------『「理性」の働き』へ続く

「努力」が続く人

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私個人の見解ですが、努力をし続けることが出来る人は、どうも目標設定が高いように思います。

「○○のために、これができるようにまずは頑張る」
「○○したいから、そのためにこれができるようにする」


目標設定を高くすると、○○をするためにはまず、読み書きそろばんができないとお話にならないことになります。
人の話を理解したり、段取りを計算したり、予算を立てたり…それらができないと、やりたいことに取り掛かれません。

ただむやみに高ければいいかというとそうでもありません。
あまりに設定が高すぎると、逆に現実味がなく、他人ごとのように思え、逆に目の前のつまらない努力ができなくなる…
ということもあるかもしれません。

そうすると、まず、今の自分の力量を客観的に知り、それに見合った、「ちょっと頑張らないといけない目標設定」をすることが大切です。そして、出来ることが多くなってきたら、その目標も少しずつ上げるという修正を上げていく柔軟性も大切です。
力量にあった目標設定が出来て、常に設定の修正を行うことが出来る人が、一番努力を続けられるような気がします。

そのためには、広く周りを見て自分の立ち位置を確かめ、今の自分の力量を客観的にみることが必要になります。
あまりに個人主義でもできませんし、自分の内面と向き合う時間も必要です。
外側に向く目線と内側に向く目線のバランスといいますか…。

くるりんにいらっしゃる方を見ていると、なかなか努力が続かない人の最近の傾向としては、目標設定が高すぎる傾向の方が多いように感じます。自分を高く見積もりすぎて、出来ている感が強く、目標設定が現実味が持てないくらい高くしてしまうことが多いようです。特に高学歴、エリート系の方、学生時代に優等生だった方は、自分の手に余ることを認めたがらない方が多く、なかなか問題に取り掛かれません。身丈の物を提示すると「そんなことはいつでもできる」とまったく着手しない人が多いです。
たしかに、やらなければ「出来ている」幻想からでなくて済みますので、いつまでも、自分はできる…というイメージを持ち続けることができます。

それはそれで本人が満足しているのだから良いのですが、「わかった」「できた」と思った途端、それ以上の成長は望めなくなります。その結果は全部自分に還ってきます。その結果に本人が満足すればいいのですが、どうもそうではない方が多いので、どうしたものか…。自分で苦しみを作っているのではないか、と思うことが多いです。

まぁ、その方の人生で私の人生ではないので、私が悩むことでは無いですね。

------次は『「異質な存在」を排除する傾向』へ続く

「出来ないとダメ」という価値観

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私たちは、出来ることが普通になってしまっていて、いつの間にか、出来ないのは行けないこと、ダメなこと…と意識せずにその中で暮らしています。
でも、そのことが、知らないうちに自分の生き方を苦しくさせていることに気が付いているでしょうか?
出来ないことを出来るように頑張ることはいいことです。
出来ないことをなんの努力もなしに、出来ないからと丸投げしてもいいことはありません。

例えば、漢字の練習を、九九の暗算を、英語の単語を、出来ないからと言ってやらないでいると、後で自分が苦しみます。初めからやらずに出来る人はいません。どんなことでも、はじめは出来ないけど、出来るように頑張る時期というものがあるものです。

ただ、出来ることが絶対ではありませんし、最終的な目標ではありません。
始め頑張るけど、その頑張りが続かない人と言うのは、どうも、「出来ること」自体を最終目標にしているような気がします。

「出来るのが当たり前だからやる」
「やらなきゃいけないからやる」
「褒めてもらえるからやる」


一見いいようですが、辛すぎて、息切れしてしまいそうです。
確かに、小学校の頃の成績はとてもよかったのに、中学や高校で、がくっと下がる人いますよね。

-----次は『「努力」が続く人』へ続く
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プロフィール

くるりん 村上

Author:くるりん 村上
日本人が元々もっている内照するような感覚を日常に取り入れてみると、自分を客観視することができ、自分の考え方の癖に気がつき、見えてこなかった真実に気がついてきます。私たちのほとんどは、自分の人生を自分の足で歩いていないのです。世間体とか周りの人たちとか、みんな…という誰かの価値観の中で生きています。でも本来私たちは愛の存在であり、愛に包まれています。だから、私たちはもっと自由に自分らしく生きても、いいのです。
くるりんでいうところのインナーチャイルドとは?
ホームページはこちら。
http://kururin.wix.com/p-kururin

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