神道における所作

昨日は、毎月1回の神事の日でした。
そのあとに勉強会があり、神式のおじぎの仕方など、基礎的なところを教えていただきました。

神道には、明文化した教えはないのですが、「丁寧さ」ということに関しては、とても大切にします。
自分では丁寧だと思っていても、人からみるとそうでもなかったり、人からみて丁寧と思っても、神様からみるとそうでもなかったり。まだまだ極めようとすると、もっともっと先があります。丁寧でありすぎることはありません。
神道の学びには、終わりはないのです。さらにもっと先、さらにもっと先…。
生きることもそうです。もっと丁寧に生きる、さらに丁寧に。これでいいということはないのです。

神職の方の所作は、とても美しいものです。
歩く姿、立っている姿…、神社でお祓いなどをしていただいて、まじかにご覧になった方は、ご賛同いただけるのではないでしょうか?とくに伊勢神宮とか格式の高い神社での神主さんたちの立ち居振る舞いは、芸術的ともいえます。
極めるとは、とても美しい行為だと思います。

丁寧さが大切といっても、生活に根付いていなかったり、我慢が強かったりしたら、また違うのです。
気持ちが込められていなければなりません。
心をこめて丁寧に生きることは、心も体も軽くすがすがしくします。

でも、効率的ではありません。
結果をださなければならない、早く結果をださなければならない、効率よく良い結果を出さなければならない…という、世の中の流れには、乗れません。

人よりも豊かに暮らすことと、人としての幸せは、しばしば対立します。
では、あなたにとっての幸せはなんでしょうか?

たまには、凛とした静けさのある、時の止まったような神社に行き、ちょっと立ち止まってみてはいかがでしょうか。
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プロフィール

くるりん 村上

Author:くるりん 村上
日本人が元々もっている内照するような感覚を日常に取り入れてみると、自分を客観視することができ、自分の考え方の癖に気がつき、見えてこなかった真実に気がついてきます。私たちのほとんどは、自分の人生を自分の足で歩いていないのです。世間体とか周りの人たちとか、みんな…という誰かの価値観の中で生きています。でも本来私たちは愛の存在であり、愛に包まれています。だから、私たちはもっと自由に自分らしく生きても、いいのです。
くるりんでいうところのインナーチャイルドとは?
ホームページはこちら。
http://kururin.wix.com/p-kururin

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