誰も自分の顔は、自分では見られない

当然のことのようで見逃しがしがちなことに、「自分の顔は自分では見られない」ということがあります。
今自分の顔が人からどう見えているのか、意外とわからない!
それは、どんなに愚かな人でも、どんな賢人でも変わりがない。聖人と言われる人や、悟りを開いた人だとて同じです。

自分のことは、自分が一番よく知っていると勘違いしてしまう。
実は一番近くて遠いのが自分の姿ではないのではないでしょうか?

だから、専門家が専門的知識を持っているけど、生活の中での活かせてなかったり、それが専門なのにどうしてそういう言動になってしまうのか、理解できないなと思うようなことをしても、理解できます。

医者が自分の体の健康については無頓着だったり
愛が世界を救うと訴えている人が、家族と険悪だったり
幼稚園や学校の先生が自分の子供のこととなると、冷静になれなかったり

そんなことは、実は当たり前なのかもしれません。
わたしだってそう。
ホメオパシーのレメディーを聞かれて教えると、びっくりされる程良く当たると人には言われるけど、自分の不調のときに選んだレメディーがヒットしたことは、ほとんどありません。
どんなときも冷静沈着でいれる自分になる方法を教えていても、緊張したり不安になったりイライラしたりしています。

たしかに、運転の仕方のうんちくをよく話すからと言って、実際に運転がうまいとは限りません。
専門家だからといって、専門分野で自分のことでうまくいっているとは限りません。
もちろん、できる人もいますが、よく知っているからできるだろう…とか、専門家だからできるはず…とか初めから期待するのは、ちょっと違うでしょう。

反対に割と言動が一致している人は、あまり人のことを言いません。
本当に偉大な人は、人のことに対して批判的なことをあまり言いません。
それは、自分では気がついていないけど、同じことをやっているかもしれない…ということが見えているから。
自分の顔は見られないから、見えることだけがすべてではなく、自分に見えていないだけで「あるかもしれない」ことを知っているから。
だから、本当に偉大な人は、人の粗が見えた時や、これはちょっとなと思う時、人のことをみるのではなく、人を自分の鏡として自分を顧みます。そうすると人が粗が、今度は自分の粗に見えてきます。本当に偉大な人は、人の粗が見えても、気にしません。

逆に自分の見えている世界が全てだと思っている人は、人のことのほうがよく見えるので、余計人の粗が見えてしまうのです。だから、どうしても人の批判が多くなってしまうのも仕方がないでしょう。
自分の顔が汚れているのに、気がつかないまま、人の顔の汚れについて話している姿をよくみかけます。

私も同じですが、なかなか自分の顔の汚れには気がつかないものです。
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プロフィール

くるりん 村上

Author:くるりん 村上
日本人が元々もっている内照するような感覚を日常に取り入れてみると、自分を客観視することができ、自分の考え方の癖に気がつき、見えてこなかった真実に気がついてきます。私たちのほとんどは、自分の人生を自分の足で歩いていないのです。世間体とか周りの人たちとか、みんな…という誰かの価値観の中で生きています。でも本来私たちは愛の存在であり、愛に包まれています。だから、私たちはもっと自由に自分らしく生きても、いいのです。
くるりんでいうところのインナーチャイルドとは?
ホームページはこちら。
http://kururin.wix.com/p-kururin

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