『今をちゃんと生きる』生き方ができるような自己になる

私もそうですが、『今に生きる』という一見当然の、すごく簡単な生き方がなかなかできません。
ご飯を食べていても、明日の天気が気になったり、なにを来て出かけようか考えたり、今日あった嫌なことを思い出してはくよくよ考えたり、むかむかしたり…。
自分が今食べている食事のことなんか、上の空です。

友達と会っていても、スマホを見たり、ラインの返信の内容を考えていたり、目の前の友人と向き合っていません。

また、期待ばかりして、起きた出来事に対して、勝手に失望して、がっかりしたり、怒りを感じたり、悲しんだり…心は常に忙しく未来と過去を行ったいり来たりして、今を見たり感じたりしていません。

例えば、明日数年ぶりに友達と会うとなると、
「あれを話そう」
「一緒にあそこに行こう」
「○○か好きだったから、あそこのカフェに食べに行こう」
と、ここまではいいのですが、頭に中には自然に、その友人がとても喜んでうれしそうにしている顔や、会話をたのしんで楽しそうにしている二人の姿が思い描いているのではないですか?

実際に会ってみたら、まったく違う反応にがっかりする。
そればかりか、つれて行った先で文句ばかり言われたら…
別れて家に帰ってから、思い出しては、
「なにあの態度」とムカムカしたり、
「やっぱりあっちの店のほうが良かったかしら」と後悔してみたり、
「彼女すっかりかわっちゃったわ。昔はあんなではなかったのに」と、昔を振り返り悲しんでみたり…

私たちは、勝手に未来を思い描いて期待したり心配したり、過去を悔やんだり、懐かしみ失ったことを悲しんだり、今を生きていません。

今をちゃんと生きる…そうすると、物事を客観的に見ることができるようになり、物事の本質が見えてきて、私たちのほとんどの苦しみは無くなってしまうのではないでしょうか?

でも、「云うはやすし、行うは難し」で、未来を見ず、過去にとらわれず、今を生きるのは思いのほか難しいです。

私は、このごく当たり前の『今をちゃんと生きる』生き方ができる自己をつくるのが修行ではないかと思っています。

まさにそのような『今をちゃんと生きる』ことのダイレクトな修行法の一つが、『坐禅』です。
先週、初めて、臨済宗のお寺にて、坐禅の体験をさせていただきましたが、『今を生きていない自己』をまざまざと見せつけられました。常に心は忙しく動きます。

常に情報が行きかう現在の社会で、今こそただなにもせず、静かに坐すような、なにもない状態に身を置くことが大切なにではないでしょうか?
とはいっても、坐禅はまだまだ奥が深いので、私もまだまだ理解が及びません。
まだまだ学んでいきたいと考えています。

文明が進んだ今だからこそ、自然の流れを大切にする、古来からある修行法が、これからますます大切になっていくでしょう。
 
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プロフィール

くるりん 村上

Author:くるりん 村上
日本人が元々もっている内照するような感覚を日常に取り入れてみると、自分を客観視することができ、自分の考え方の癖に気がつき、見えてこなかった真実に気がついてきます。私たちのほとんどは、自分の人生を自分の足で歩いていないのです。世間体とか周りの人たちとか、みんな…という誰かの価値観の中で生きています。でも本来私たちは愛の存在であり、愛に包まれています。だから、私たちはもっと自由に自分らしく生きても、いいのです。
くるりんでいうところのインナーチャイルドとは?
ホームページはこちら。
http://kururin.wix.com/p-kururin

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