「知性」について その2

大人の勉強が子供の勉強と違うのは、学校で習う勉強は、答えがわかっているもの、確実に答えがあることしか勉強しないと思います。でも、生きていくために必要な学びのほとんどは、答えの無いもの、答えのわからないもの、答えがあるかどうかすらわからないものがほとんどだということです。

人生や生き方を学んでいるときでさえ、さも、答えがあるかのように、
「それで、私はどうしたらいいでしょうか?」
と聞いてくる人も多いです。
また「こうするといいんでしょう?」とそれが正解のように言ってくる人も多いです。
でも、残念ながら正解はありません。

むしろ学校では、学ぶのに必要な基礎知識や、学び方を学ぶためにあえて答えのわかるもので練習しているともいえます。
知性を働かせた考え方の練習、理性を働かせるための練習ともいえます。
宿題などは、自由に使える時間の中で、あえて「やりたくないこともやらなくちゃいけない」練習ともいえるかもしれません。
なにも子供を縛り付けるためにあるんではないと思います。
それから、やらなくちゃいけないことをやらないと、結果は自分に降りかかってくることの学びかもしれません。
それは、罰ではなく、結果は自分が引き起こしている…原因は自分にあるということで、結果が怒られるという嫌なことでも仕方がない、と自分の責任として受け止める練習ともいえるかもしれません。

私は、以前は、学校の制度に対して批判的でしたが、今は、悪いものではないかもしれない…と思ってきています。
その中で重要なのは、どう学ぶか…で、そこで優秀であるかどうかではない…ということだと思います。
ただし知能指数や偏差値にこだわってしまうのは、どうなんだろう…とそこには疑問を持っています。
理性や知性だけ働かせて、自分の心配や後悔や人に傷つけられた過去ばかりに思考を凝らしているのは、前頭葉だけで生きているような感じです。

坐禅を組んでいると良く分かるのですが、知らないうちにたくさんの事を考えています。
思考を巡らせています。寝ても覚めてもこれだけの事を普段から考えているのだな…というのが、わかります。
そして気が上がっているのがわかります。
「あ、これは禿げちゃんうんじゃないかな?」…と心配になってきます。そう思うほど、エネルギーが頭の前頭葉や頭頂に集まっているのを実感します。
以前、抜け毛がひどかったのもうなずけます。たくさんの心配やら後悔やら、いろんな不満やらで一杯だったですから…。

学ぶ喜びや知る喜びなどの感動は、体験を通した学びの中で身についていくのだと思います。けしてパーチャルな世界や机上の勉強だけで学びきれるものではありません。
頭で考えているだけでちっとも行動しない人、いろいろ心配ばかりして実行しない人は、パーチャルの世界、つまり自分の想像の世界の中でしか学んでいないことになります。
それはとても狭い範囲での学びではないでしょうか?
私は、いろんな人と接したり、いろんなことを経験するという体験により、想定外のことから学ぶことがとても大切だと思います。
そして体験から学んだものをちゃんと理解するために、本から学んだり、人から教えてもらったり、表現力を身につけたりすることは、さらに大切だと思います。そして身につけていくための習慣が必要になってくると思います。

------『「忘却」は人間の知恵』に続く
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プロフィール

くるりん 村上

Author:くるりん 村上
日本人が元々もっている内照するような感覚を日常に取り入れてみると、自分を客観視することができ、自分の考え方の癖に気がつき、見えてこなかった真実に気がついてきます。私たちのほとんどは、自分の人生を自分の足で歩いていないのです。世間体とか周りの人たちとか、みんな…という誰かの価値観の中で生きています。でも本来私たちは愛の存在であり、愛に包まれています。だから、私たちはもっと自由に自分らしく生きても、いいのです。
くるりんでいうところのインナーチャイルドとは?
ホームページはこちら。
http://kururin.wix.com/p-kururin

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