「円熟」とは、人としての成長

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さて、ずいぶん回り道をしてしまいましたが、「円熟」に戻りたいと思います。
「理性」と「情動」の絶妙なバランス「感動」』から続きます。

私たちが感動する場面はいろんなところにあります。
サッカーやフィギアスポーツなどのスポーツの試合、コンサート、映画…などなど
とても素晴らしい体験です。
感動は、日頃の苦しさを一時忘れさせてくれます。
あぁ、またあの感動を…と、味わいたくなります。
それが仕事へのモチベーションになったします。
しんどい生活にがまんできたりします。

しかし、それは日常から離れた特別な空間です。
次の日から頑張ろうと、いう原動力になるのはいいのですが、その感動だけを求めてしまうのは、現実逃避となることがあります。
感動を求めることが生きがいになってしまうと、日々の生活で得られるはずのものを見えなくさせてしまいます。

最近私は、禅寺にて坐禅会などにも参加させていただくようになりました。
お坊さんの修行中も、とても素晴らしい体験をすることはあるそうです。
大きなものとつながったような感覚、素晴らしい光のようなものが見えたと思う方もいるし、特別なエネルギーを感じたりと、人によって違うようですが…
禅の教えでは、それを「染汚(せんな)」といって、とても嫌います。
そのような感覚を求めるようでは、とても悟りの境地には至れないと考えているようです。
また、そのような感覚を求めるために修行をするのでは、本末転倒になってしまい、形は修行でも、修行になっていないことにもなります。

理想を言えば、
ほんとうに日々坦々としてただ同じことを繰り返される日常を
ストレスも多くしんどい日常を
いつ終わるともしれない日常を
つらい目にばかりあう日常を
そのままに、その中にある小さな喜びを見つけられるようになるといいのではないかと思います。
または、しんどいやつまらないことそのものを、喜びと変えていくことがいいのではないかと思います。

お釈迦様は、バラやきれいな庭園ではなく、泥の中に見事に咲く、蓮の花を愛しました。
素晴らしいことを、美しいことを良しとしませんでした。
どんなに美人でも、死んだら結局、骨になってしまうから、みな一緒だと言って、外見の美しさを求めませんでした。

とはいっても、若いうちは難しいでしょう。それに、いろいろ経験し、体験することは大切だと思います。
そして感動も絶望も味わって、その先にあるのが円熟ではないでしょうか?
しかし、感動を感動のままに終わらせず、絶望を絶望のままに終わらせず、その先に行くためには、内面的な成長がないと勧めません。

私は10代のころ、ロックバンドのベースをやっていました。
ポプコンという大会にでて、地区大会で個人賞をとったことがあります。
バラードでメンバーのオリジナル曲だったんですけどね。

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後日、よく行っていた田舎の楽器屋さんで、初対面のおじさんから
「いや~、感動したよ。大したもんだ!」
と、言われびっくりしたことがあります。
父親と同じくらいの年の方から、ほめられるという体験はめったにありません。
高校生の私にとっては、とても大きな出来事でした。
それ以来、私は、自分が感動することよりも、感動を与える人生を送りたいと思って頑張ってきました。
感動は人を動かします。その人の人生を変えるほどの力を持つことがあります。
それが原動力で苦手であった勉強会や講師を続けられたということもあります。

そしてこの年になり、感動よりもっと深淵なるものがありそうに思えてきました。
その先があるぞ、というのが少し見えてきました。
そこにとどまっていては見えないものがある…そう思えるようになりました。
少し落ち着いて、内面の成長ということをやっとできるようになったのかもしれません。
まぁ、もっとも、そのような頑張りは、いい加減、体力・気力的に続かなくなってきたというのも、あるのかもしれませんがね。

------『「人間は考える葦である」』へ続く
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プロフィール

くるりん 村上

Author:くるりん 村上
日本人が元々もっている内照するような感覚を日常に取り入れてみると、自分を客観視することができ、自分の考え方の癖に気がつき、見えてこなかった真実に気がついてきます。私たちのほとんどは、自分の人生を自分の足で歩いていないのです。世間体とか周りの人たちとか、みんな…という誰かの価値観の中で生きています。でも本来私たちは愛の存在であり、愛に包まれています。だから、私たちはもっと自由に自分らしく生きても、いいのです。
くるりんでいうところのインナーチャイルドとは?
ホームページはこちら。
http://kururin.wix.com/p-kururin

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