「出来ない」と、本当にダメなのか?

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やっと最初のお題に戻ってきました。
いろんなことが「出来る」ことはすごいことだと思います。
でも、「出来る」のが当たり前で「出来ないとダメ」となってしまうと、人生はとても辛く長いものになってしまうでしょう。
それでもやっぱり出来ないより、出来たほうが、人生が充実して楽しいように感じます。
人よりもいろんなことが出来る優秀な人であったほうが、優越感や自信がでてきて、自分に力があるように感じられ、生きることが楽しいでしょう。

しかし、世の中のすべての人が「出来る」人になってしまったらどうなるでしょう。
逆に優秀な人がいなくなってしまいます。
優越感を感じる場面もなくなるでしょう。みんなが平均化した世界です。
なんかとてもつまらない人生のように感じられるかもしれません。
なんだかがんばる気がしなくなりそうです。

私は、出来ることもすごいと思いますが、苦手なことを克服するために、希望をもって出来るように頑張っている姿は素晴らしいと思います。

そして、見落としがちなのは、出来るとか優秀という基準は、時代によっても、文化の違いによっても変わってきます。
戦国時代に優秀だった人が、平安だった江戸時代に優秀でいられたでしょうか。平成の現在ではどうでしょうか?
もちろんどんな場面でも優秀な人でいられる人も中にはいます。

でも、その時の状況によって、評価が分かれる人もいます。
また立場によっても違います。

たとえば、会社では頼りにされ、高い地位にあったような人が、定年後の生活では濡れ落ち葉のようになってしまい、家で厄介者扱いされている…という話を聞いたことがあるでしょう。
たとえば、仕事では頼りなくて、人の仕事まで増やしてしまうようなダメダメ社員が、スキーとかアウトドアではすごい技術を持っていたり、海外に行った時に英語がペラペラだったり…と、いきなり頼りになる人になることもあります。

そうなるで、いつでもどこでも「出来る人」になる、というのは、無理そうです。
誰にも得意分野、不得意分野がある…ということになるのではないかと思います。

------『実は、私たちには「出来ない人」が必要なんです!』へと続く
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プロフィール

くるりん 村上

Author:くるりん 村上
日本人が元々もっている内照するような感覚を日常に取り入れてみると、自分を客観視することができ、自分の考え方の癖に気がつき、見えてこなかった真実に気がついてきます。私たちのほとんどは、自分の人生を自分の足で歩いていないのです。世間体とか周りの人たちとか、みんな…という誰かの価値観の中で生きています。でも本来私たちは愛の存在であり、愛に包まれています。だから、私たちはもっと自由に自分らしく生きても、いいのです。
くるりんでいうところのインナーチャイルドとは?
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http://kururin.wix.com/p-kururin

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