日本の信仰心について感じたこと

峯入りから戻ってきました。そのせいか、なんか信仰心について書きたくなりました。
こういったネタは、私としては、珍しいです。
宗教臭がするのはイヤ…と、苦手な方は、読まずに飛ばしてくださいね。
また、お読みいただく方も、これはあくまでも、今の私の感じたことで、1年後には、違う感じ方になっているかもしれません。
その辺は、了解の上、読んでくださいね。

今回の峯入りも結構な雨続きでした。晴れていれば、そんなに大変ではないかもしれない登山道も、ぬちゃぬちゃ、べちょべちょで、しかも滑るし、最後まで気が抜けない山行となりました。
しかし、山頂が近づいていた時に、一瞬ずっと雲の覆われていた山頂の岩肌が姿を現しました。

「お~~~!」
畏敬の念というのは、こういうことをいうのだろうと思います。
畏れ多く感じる気持ち…、でも怖さとは違う…どちらかというと大いなる安心感というか…しかし、「なめちゃいかん」という気持ち…
憧憬の念もあり、「よし行くぞ!」という気合、少しでも近づきたい気持ちになります。

日本人は、昔から、大いなる自然から学び、生活も自然と共にありました。
そして、なんでも感でも神様が宿ると考えていたのです。だから八百万の神。
八百万の神…というのは、一神教の国々からみると、なんとも摩訶不思議な感覚なのでしょうね。
全ての生物、そして無生物、人が作った無機質なものまで、全てに神様が宿ると考える、日本の信仰心。
なにかの宗教に属するのでは無く、ただすべてのものに、感謝と尊敬をもって生きていくこと、そして、自然の力に対する畏れrる気持ちを持っていること…それが日本人の生き方ともいうべき信仰心なのではないでしょうか?

熊本に行ったときには、いつ噴火や台風などの災害が起こるかもわからないことすらも、日常の中にあり、自然とともに生きているのだ…と感じられました。そういう人たちはたくましいです。ちょっとやそっとでは、へこたれません。

しかし、この畏敬の念をもって生きている人は、少なくなっているように感じます。
なんでもかんでも、努力すればなんとかできる…と考えている。自然の大いなる力すらも、コントロール可能だと考えている。
確かに科学の進歩により、かなりの部分がコントロール可能となり、便利になりました。
そのことが、私たちの幸せをもたらしているのでしょうか?
むしろ、他の自然と分断され、孤立化を深めているだけのように感じます。
また、コントロールを失った時、…例えば、災害などで、立ち直れないほどの挫折感を喪失感に見舞われるのではないかと思います。とても弱くなり、大丈夫なときも、なにかしらの不安感の中に生きているように思えます。

そのせいか、パワースポットが流行っています。
では、最近のパワースポットブームは幸せをもたらしているのでしょうか?
ある人にとっては、そうかもしれません。
しかし、素晴らしいものをなにかしらに与えてもらおうとする姿勢は、それがないと、やっていけない…ということにも繋がりかねません。
そうなると、「自分は、よりたくさんもらおう」という姿勢にも繋がるでしょう。
お金の豊かさが、良いパワーに変わっただけで、生き方自体は、もしかしたら、同じなのかもしれないな…とも感じます。

自然から、なにか良いものをもらおう、頂こうとするのではなく、自然から学び身に付けていく、そして共存してく…というのが、本来の日本の持つ、信仰心ではないかと、今の私は考えています。
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プロフィール

くるりん 村上

Author:くるりん 村上
日本人が元々もっている内照するような感覚を日常に取り入れてみると、自分を客観視することができ、自分の考え方の癖に気がつき、見えてこなかった真実に気がついてきます。私たちのほとんどは、自分の人生を自分の足で歩いていないのです。世間体とか周りの人たちとか、みんな…という誰かの価値観の中で生きています。でも本来私たちは愛の存在であり、愛に包まれています。だから、私たちはもっと自由に自分らしく生きても、いいのです。
くるりんでいうところのインナーチャイルドとは?
ホームページはこちら。
http://kururin.wix.com/p-kururin

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