「自己カウンセリングとアサーションのすすめ」を教材に

「コミュニケーションってなんだ?」の火曜日クラスの教材は、「自己カウンセリングとアサーションのすすめ」です。
アサーションとは、自己表現のひとつで、ある意味日曜クラスのコールドリーディングと真逆になります。
同じ設問から初めて、来る方によってこれだけ方向性が変わるのかと、…新鮮な驚きです。
しかし、共通することがあります。
それは自分の気持ちとの向き合い方。
自分を知ろうとしなくては、人の話を聴くことも、自分のことを表現することもできません。
こんど岡谷クラスでのテーマ、共感もそうです。
まずは、自分自身に共感できなくては、人に対して共感はできません。

アサーションでは、自分とうまく付き合うということを何度も書かれています。
自己評価の癖に気が付き、今ここのありのままの自分を受け入れ、今の自分を大切にする。
大切にするってのは、そのままでもういいのだと何もしない事や、甘やかすことではないので、なかなか難しいかも…。

自分と付き合うための第1歩として、「今・ここ」の自分の気持ちに気が付くこと…。
あれ?坐禅みたいだ…と感じました。

禅とは「今・ここ・自分」を見つめ続けること。
…今月も8日に坐禅会があるから、「今・ここ・自分」を見つめてこよう。

そこから、自分のものの考え方や見方をしること。
感情、感じ方、もの見方考え方に、良いも悪いもない…というのが正直に見つめるときのポイント。
でも、最近の傾向では、分別がありすぎて、善悪か、正解か間違っているか…ばかりに話が偏る傾向があるなって思う。
2でも3でも、割り切れないのが人の気持ちなのだ。
自分の気持ちと向き合うとき、人と深く向き合うとき、分別なかでは割り切れないものがある。
それが、禅でいう、「無分別智」。
一般的な「分別のない人」とはまた違う。
何を言っているのだろう…と思う方は、ぜひ禅寺で坐ってもらいたいな、って思います。
自宅で行う瞑想とか、マインドフルネスともまた異なります。
同じところを通るかもしれないけど、その先があるというのが、坐禅ではないかと思うのです。

あれ?話が違う方向に行ってしまいました。
まったく分別の無いことで、申し訳ない…。

ます、コミュニケーションの第1歩は、自分が何に対して、何を感じ、どう考え、どう行動するか…を自分で、ちゃんと把握するとことからではないでしょうか?
その観察というものが根底にあるというのが、コールドリーディングと、アサーションとの共通点ではないかと思うのです。
そして、行動が、聴くことが主体なのか、伝えることが主体なのか…の差で、人と深く関わろうとするとことも共通なのではないかと思うのです。
ほんとに大切なものを知って、大切にするための方法を学び、身に付けていくこと…実は、とても大切なことではないかと思うのです。


東大和火曜クラス  3回目6月20日

参加費 昼食付き各回7000円
時間 10時半~14時半(お昼時間を含む)

会場 東大和クラス…くるりん
     東京都東大和市南街6-11-2 

お問合せ&お申込み
くるりん 事務局




臨済宗妙心寺派 久保寺
坐禅会 毎月8日 PM7時~

看取りと送るということの、お話し

ご夫婦でくるりんにいらっしゃっている方で、両親を家で介護し、最近お父さんを家で看取った方がいらっしゃいます。
痴呆症が進み、身体も弱ってきて、施設に入れることを周りから勧められるようになり、いろいろ調べて何が自分たちの家族にとっていいのかを考えたそうです。
ほぼ施設に入れることを決めかけたとき、たまたまあった講座に参加し、家で看取るという選択があることを知ったそうです。
お医者さんでも、ホスピスをやられている現場の方でも、自然な死の瞬間をご存じの方が少なく、そういった勉強をする場が本当に無いそうです。睡眠薬で眠ったままの状態で、様態が急変することもなく、いつの間にか亡くなっていた…ということも多く、在宅で看取るときの、家族に見守られて…ということがなかなかかなわないことの方が多いようです。

そんななか、そのご家族は、人の紹介で、在宅ホスピス医の内藤いづみ先生にお願いすることができ、管や機械につながれることもなく、自然な形で息を引き取る瞬間に立ち会えた…とおしゃっていました。事前にビデオで勉強もしていたので、「そろそろだな」という様子がわかり、そこに家族が居合わせることができたということです。

家で看取ることは、本当に大変だったけど、最後の親との時間はとてもいい時間だったということでした。
親の最後を入院させないということは、思ったより大変で、看護する家族はもちろん、他の兄弟や親戚の理解も必要で、しかも、サポートしてくれる専門医に、出会えるかどうかも重要です。

亡くなった後も今は病院から、火葬場に直送することも多く、その後の残された家族の乗り越え方が違うようです。
本当に大変だったけど、最後の時間を落ち着いた形で看取ることができたということで、後悔はなく、ただ故人との思い出に浸ることができるようです。自分たちが残された生をいかに生きるかということにも、つなげやすいように感じます。
しっかりと目の前の「死」と向き合うことは、自分がどう生き、どう死にたいか…につながり、とても大切なことだな…と思いました。

そんなことを思っていたら、今度は、坐禅会の後、住職からお葬式の話がでました。
坐禅会は、長野県岡谷市の久保寺で、毎月8日に行われています。
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今回住職は、お通夜があり、そこから帰ってきてのお話でした。
「最近は、なんでそんなに早く済ませてしまいたがるんだろう?家族葬に、直送に、密葬…。
手短に、簡単に済まそうとするけど、その人が生きた最後のお別れのとき。
そんなに早く焼いてしまわなくてもいいに…。」

どちらかというと、早く送ってあげなければ、いけない…というイメージがあるのですが、どうも、効率を考えてのようです。
5日とか1週間とか、ともにいてあげて、お顔をじっくりとみて、故人を偲ぶ。
世話になったと、いろんな人が合いに来る。
最後にお顔だけは見たかったと言われても、焼いてしまったら後の祭りです。

送ることを頼まれた和尚さんも、ただお葬式に行ってお経を読むだけではないそうです。
本来は、生きているうちに、仏門に入りますといういろんな手続きを経て、戒名をいただきものだそうです。
それをお亡くなりになってから行うそうで、しかも戒名を考えるときは、いろんな教えの中から、その方の生前を思い浮かべ、その方に合った字を選ぶので、そんなに簡単ではないそうです。
「少なくとも、自分はそうしています」
とご住職はおっしゃっていました。
なので、急に明日の午後とか言われても、間に合わせますが、とても困るそうです。
しかもちょっと寂しい感じがします。

密葬というも、もともとは、大きな本葬があっての、その前に身近な方で行うのが密葬で、本葬ありき…だそうです。
何十年も生きた証…ということで、たくさんの方に偲んでいただくのが、本来の形なのでは。
そうはいっても、経済的時間的事情があるのは仕方がないこと、せめてそのことを、まずはご住職に相談していただければ、それに合わせてなんとでもできると言うことです。
もう焼いてしまいました…と、事後報告で対応するのが、一番せつないそうです。

そう考えると、お墓があるお寺のご住職と、なんかの折に話をしておくことは重要なのではないかな…と感じました。
そのお寺のご住職は「送る」ということをどう考えて、どういう対応をしているのか…。
死んでからでは遅いです。生きているうちに、この方に送られたいか…を見定めておくことは重要なのでは…。

ということで、「死」ということについて、とても良いお話を続けていただくことができました。
「死」を知り考えることは、残された人生は人それぞれ違いますが、改めて、これからどう生きるか…ということを考えていくことにもなるのではないかと思います。

さらに今日の新聞から

今日の読売新聞の「思潮」のページから
「誰かを悪者に仕立て上げ、徹底的にバッシングする現象が、近年繰り返されている。今月の論壇は、そんな日本社会の不寛容を考える論考が目をひいた」
とあった。

少し前なら考えられないような便利な社会になり、SFで出てくるような便利でセキュリティーのしっかりしたものがどんどん出てきて、どんなに安心して暮らせるのだろう…と思うのだけど…。

ネットや、ワイドショーなどで繰り広げられる、いろんな方の意見は、とても厳しいなと思うことも多い。
特に匿名で広く発言できるネットでは、バッシングとか叩くという暴力的な表現が合うほど、正義の名のもとに、容赦なく書き込まれる様は、とてもつらくて読んでいられなくなる。

言う方も、言われる方も、それを傍観している方も、なんか息苦しさを感じる。息苦しく生きているその表れとして、徹底的にバッシングしてしまうのだろう。

人に後ろ指をさされないようにといっても、今はそれがとても大変な世の中だと感じる。

正義ってなんだろう?って考えてしまう。
正義を訴えている人は、自分は絶対に後ろ指刺されない行いだけをしているのだろうか?
そうなのだろう。
では正義の人は、自分は幸せに楽しく、のびのびと自分らしさを生きている…と答えられるのだろうか?
そうなのだろう。正義こそ私だって思う。
では、その人の身近な家族は、正義の人とともに、幸せに楽しく、のびのびと自分らしさを生きているのだろうか?
そこに、穏やかさや、リラックスや、のんびり…という癒し的な要素はあるのだろうか?
そうなのだろう。でも私には、想像ができない。

どんどん便利になる世の中は、果たして、人間を幸せにしていけるのだろうか?


「生きる価値観を変えてみる」
あたなの人生にとって大切なのは、何ですか?

日時 4月9日(日) 10時~11時半
場所 諏訪湖ハイツ304
    長野県岡谷市長地権現町4丁目11
参加費 2000円

勉強会のお申込み&お問合せ
くるりん事務局


腰痛と認知行動療法

昨日の読売新聞に「腰痛に負けない」という記事が載っていた。
腰痛に悩む人は、全国に2800万人もいるそうだ。
さらに驚くことに、そのうちの約85%が、「非特異的腰痛」と呼ばれる、つまりは、原因不明の腰痛に悩んでいるという。

かく言う私も、以前は腰痛と股関節通、膝関節痛で悩んでいた。
悩んでいるというより、辛いが、あまり気にせずにそんなもんだとほっといていた。
ぎっくり腰も3度ほどやっている。

興味を持って読み進めていくと、以下の記述が…
― 非特異的腰痛の患者の特徴はありますか。
「この腰痛の一部に心理的ストレスが関係していることが近年、わかってきました」
「否定的な言葉で責められたグループと、肯定的な言葉で褒められたグループに分け、同じ負担を腰椎にかけた場合の腰痛の発生率を調べた研究が米国にあります。その結果、責められたグループに腰痛の発生率が高いことがわかりました。腰痛は心理的な面が大きく影響しているのです」
― 非特異的腰痛の患者への治療法はありますか。
「考え方や行動を変えることで、ストレスを軽減する認知行動療法がその一つです。1の痛みにこだわる人に対し、『1を0にする』のではなく、『1くらい大丈夫』と考えるクセをつけてもらうのが狙いです。」

と書いてあるではないか!
確かに、認知行動療法とまではいかないが、くるりんでのインナーチャイルドの癒しはそれに近いもの。
インナーチャイルドの癒しと昇華に取り組み、考え方のクセを変える取り組みをしてから、いつの間にか、腰痛も、股関節通も、膝関節痛もなくなっていた。
そして、すっかり忘れて今では、山に荷物を抱え、山頂でお鍋をやったりして楽しんでる。
そう、10年前くらいは、ひどい貧血もあったし、とても10㎏の荷物を抱えて山なんか登れなかった。

考え方のクセを変える取り組みをしてから、年々消化力もあがり、身体も頑丈になってきたようだ。



くるりんの個人レッスン

日常的にあるストレスにより、自分の思い込みに気づく作業からやっていきます。
毎回進み具合により、宿題があります。
 
料金 75分 7,000円
    高校生以上が対象です。(未成年の方は保護者の同意が必要です。)
 
毎週~隔週1回のペースでお越しください。
 
インナーチャイルドの癒やしは、今ままで自分を苦しめてきた、生き方、考え方の癖に気がつき、行動パターン、思考パターンを変えていく作業です。
地道で辛抱のいる作業です。
長く続けていくことが、自分の人生を充実感をもって生きて行くための早道です。
 
問題はないけれど、さらに生き方をステップアップしたい方、セラピストの方、霊性を向上させたいという方にも有効です。
 
ご家族のことで解決したいことがある場合も、あなた自身の霊性の向上によって解決できることもあります。

お問合せ⇒くるりん事務局

「諦める」ということ

頑張ってなんでも手に入れようとしてきた、往生際の悪い昭和の人間からみると、最近の若者の傾向は、はじめから諦めているような感じがします。
「悟りの世代」とも言われ、出世すること、極端な話、仕事をすること自体も「欲だ」と考え、働かない事、何もしないことを美徳とみるような傾向にあるのかな…とも感じられます。

お金さえあればの~んびりしたい
何もせずにいられるのなら、特に美味しいものを食べたいと思わない
出来る範囲で働いて、出来る範囲で遊ぶ…無理無茶はしない

一見スマートな生き方にも思えます。
わたしからみると、なんか物足りなさを感じますが、本人が満足なのだからそれでよいのでしょう。
夢を見ることや、頑張ってなにかを得ようとすることを、はじめから諦めている風にも見えます。

最近では、結婚はおろか、恋愛にも興味がない若者も多いと聞きます。
では仕事は…といえば、特になにかやりたいことがあるわけでもない。
遊びはといえば、そこそこいろいろやるけど、すごく打ち込むほどでもない。

それが満足であればいいのです。
なのに、「退屈」をすごく嫌がる傾向もあり、なんか無性にイライラしていたりします。
実際に、親の世代をみていると、頑張った先が幸せかというと、いろいろ犠牲を払って頑張ってもこれくらいかとか、
今の親の世代であれば、まだ頑張って年を取った先に、年金で割と楽に暮らせるとかあるけど、若者の世代はそれも当てにできない。ならば今頑張るより、楽して楽しいことを今やったほうが得じゃないか…って考えるのも仕方がないと思います。
そういう時代なのだから、仕方がないと言えば仕方がない…。

さてこの「諦める」ですが、意味を調べてみると…

  もう希望や見込みがないと思ってやめる。断念する。(goo辞書)

他も見て見ましたが、大体が断念する…というような意味でした。
しかし、この「諦める」は、熟語になるとちょっと意味合いが変わってきます。
例えば「諦観(ていかん)」

 本質をはっきりと見きわめること。(goo辞書)

「てい」で辞書を引くと

 1 明らかにする。「諦視」
 2 締めくくり。まとめ。「要諦」
 3 あきらめる。「諦観・諦念」
 〈タイ〉仏教で、悟り。真理。「三諦・真諦 (しんたい) ・俗諦・妙諦」

となります。「諦」は仏教用語で使われる言葉でもあります。
それを書いてある良いサイトがありました。
 「諦める」一郷 正道(いちごう まさみち)(教授・仏教学)


そう考えると、同じ「諦める」でも、いろんな諦め方があるようですね。
私は、どうせ諦めるなら、やってダメだったと納得して諦める生き方をしてみたいもんだ…と思います。
まぁ、いままでは、ちょっと考えて、ダメそうだと感じたら、はじめから諦めてしまうような生き方をしてきたので…。
あれ?今の若者と変わんないじゃん!
あははは…ま、そんなもんでしょう。道理がわかれば、生き方が変わることってありますからね。



くるりんの個人レッスン

日常的にあるストレスにより、自分の思い込みに気づく作業からやっていきます。
毎回進み具合により、宿題があります。
 
料金 75分 7,000円
    高校生以上が対象です。(未成年の方は保護者の同意が必要です。)
 
毎週~隔週1回のペースでお越しください。
 
インナーチャイルドの癒やしは、今ままで自分を苦しめてきた、生き方、考え方の癖に気がつき、行動パターン、思考パターンを変えていく作業です。
地道で辛抱のいる作業です。
長く続けていくことが、自分の人生を充実感をもって生きて行くための早道です。
 
問題はないけれど、さらに生き方をステップアップしたい方、セラピストの方、霊性を向上させたいという方にも有効です。
 
ご家族のことで解決したいことがある場合も、あなた自身の霊性の向上によって解決できることもあります。

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プロフィール

くるりん 村上

Author:くるりん 村上
日本人が元々もっている内照するような感覚を日常に取り入れてみると、自分を客観視することができ、自分の考え方の癖に気がつき、見えてこなかった真実に気がついてきます。私たちのほとんどは、自分の人生を自分の足で歩いていないのです。世間体とか周りの人たちとか、みんな…という誰かの価値観の中で生きています。でも本来私たちは愛の存在であり、愛に包まれています。だから、私たちはもっと自由に自分らしく生きても、いいのです。
くるりんでいうところのインナーチャイルドとは?
ホームページはこちら。
http://kururin.wix.com/p-kururin

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