「いただきます」

修行…というと、荒行や苦行を思い浮かべるのではないでしょうか?
「わたしはこんなすごい修行をした」とか聞くと、すごいなっと思うし、尊敬もすると思います。
でも実際に、修行の中で生活をしている方をみていると、もっと静かなものだと気が付きます。
お坊さんは、生活のすべてが修行です。
比叡山のお寺でお食事をいただくとき、「食前観」と「食後観」を唱えます。
食事そのものが修行になるんです。
そう聞くと、ちょっと堅苦しく感じるのでは?
わたしは、感じました。そして、とても面倒くさい気持ちになり、翌日に控えている荒行よりも、憂鬱な気持ちになりました。

しかし、やってみると普通のことです。
「いただきます」「ごちそうさまでした」を言う、ただ目の前にあるごはんを味わう、用意していただいたかたに「ありがとうございました」といって、後片付けをする…。




食前観 
 我 今 幸いに 仏祖の加護と修行の恩恵によってこの清き食を受く
 つつしんで食の来由(らいゆ)をたずねて
 味の濃淡を問わず
 その功徳を念じて
 品の多少をえらばじ
 「いただきます」




いいなぁと思って、今日はなんども心の中で反芻しました。
そうしたら、いろいろごちゃごちゃいわず、なんでも与えられたものを「いただきます」と、私は、言っているのだろうか…
とふと思いました。

食事のことだけではありません。
自分が考えることなく与えられていて、あたりまえと思っていること…。
生まれ育った環境、顔かたち、背丈、体質、日々起きること、周りの人たち…

ついついいろんなことに、あれは食べたいが、これは食べたくない。
もっと甘い方がいいとか、塩気が足りないとか…
そう思ってはいないだろうか?

つい私たちは、健康であることが当たり前で、病気になると
「こりゃ大変だ!」
と、災いが襲ってきた…と思い、毛嫌いします。
あっちが痛い、こっちが痛い…。

いや、たしかに、イヤです。
でもその意味を来由を、静かに考えているだろうか?
慌てて災いを無くそうと、右往左往していないだろうか?




食後観
 我 今 この清き食を終わりて 心ゆたかに力 身に充つ
 願わくは この身心を捧げて
 己が業(わざ)にいそしみ
 誓って 四恩(しおん)に報い奉らん
 「ごちそうさまでした」




修行の中で生活をしている方々は、神仏の御働きにも触れることになるのだろうと思います。
そうなると、そうそう慌てることもなく、迷うこともなく、どんなことが起きても、平穏な中に身心を置くことができるのではないのだろうか…
などと、考えていました。

どう感じるか…は、人それぞれですが、食事の前後に、手を合わせてみるのもいいかもしれませんね。








「比叡山一日回峰行」に参加してきました

紅葉が色づき始めた比叡山延暦寺…。

比叡山不動堂から2017-11-12

行ってまいりました「比叡山一日回峰行」。
実は、行になるので、ブログに書くのは、遠慮しようと思っていたのですが…
回峰行が終わった後に
「比叡山一日回峰行は今年は今回が最後ですが、来年もまたあります。なるべく多くのお知り合いの方に体験したことをお話しいただきたい。過去の大阿闍梨が歩いたありがたい道を、修行をしていない方でも、1日といえども歩くことができます。そのことを多くの方に知っていただき、歩いていただきたい」
というようなことをおっしゃっていました。

なので、少しだけ書いてみようと思います。
比叡山は、歴史的な番組や、小さい頃見た大河ドラマでみた、焼き討ちのシーンくらいしか知りませんでした。
まさか私が、その地に足を踏み入れることになるとは、つい数か月前まで思ってもいませんでした。
夏くらいに、人から聞いて、テレビでも紹介されたあの「千日回峰行」を体験できるらしいということを知りました。
そして、10月、11月にも募集していることをしり、11月で申し込みました。

10月は台風の影響で中止になったようで、その分11月は定員の2倍の人数を受け入ることになったようです。
男女とも同数くらいでした。

30㎞の道を、私は果たして歩ききることができるのだろうか…

ということばかりに考えが向かっていましたが、実際は、歩くだけが修行ではなく、立ち居振る舞いの作法、全てが修行とのことです。特にお寺での修行は、整理整頓がはじめの一歩だそうです。
説明の時間では、まず食事の作法が初めてにあって、お風呂やトイレ、部屋の整理整頓について…。
はじめは、とても憂鬱でした。ごはん一つ思うように食べられない…。
でも、食べることに集中していると、なんだか気持ちいいのです。
食べ終わってみると、いつもの、「ながら」でダラダラ食べるよりも、「食べた」という充実感があるというか…。
昔からのしつけって、実はとても大切なことが詰まっているのかもしれません。

仮眠をして、夜の2時起床で歩く…ということだったのですが、21時に消灯なので、思ったよりぐっすりと眠れました。
人数が多く、2班に分かれました。
男性グループと女性グループです。
女性グループは、体力も考慮してか、思ったより休憩が多かったように感じます。
なのでなんとか最後まで歩ききることができました。

たくさんのスタッフの方が、燈のために車で休憩所に待っていていただいたり、お茶を用意していただいたり、おにぎりを用意していいただいたり…、本当にたくさんの方が、待っていてくださっている感じです。
歩いてみてどう感じるか、なにがあるのか…
それは、実際に自らの足で歩いて感じて欲しいです。
たぶん、一人一人違うと思います。
だから、私がどう感じたかは、書きませんが…。

写真は、1か所だけ、「撮影していいですよ」と言っていただいた、無動寺明王堂から見た琵琶湖です。
雲からさす太陽光が素敵で、撮らせていただきました。

ただただ、ありがたいです。


  

ちょっとだけ無茶をしてみた…高尾山で「恐れ」と向き合ってみた

今月は、はじめから予定が盛りだくさん。とても山にいく暇などありません。

4日に勉強会のDVD上映会。まぁこれは、みて確認する作業なので、それほど大変ではない…が時間は3時間と大幅に使う…かな。
5日に午前午後ともに勉強会。日程を変更したため資料の作成が間に合わずに、ちょっと頑張らねば。
6日は予定が入っていて…
8日は長野県岡谷市に出張。7時には家をでないと…。
9日は、急きょ決めた勉強会。資料は慌てて作成。
10日から比叡山の延暦寺。そのためにいろいろ下調べなどをしなければいけないのに…何も手を付けていない…。

という状況の中…、たくさん準備しなくちゃ…、着るものも天気とか調べて用意しないと…
お留守番をする猫の用意も考えなければならず、段取りをちゃんと考えるところだろう…
6日はわりと仕事が入っていて、手一杯なので、7日くらいしか空いていない…

という状況の中…、天気がよく暖かい7日…
とうとう我慢できず、おにぎりを作り、コーヒーセットをリュックに入れ…
5時過ぎから、高尾山に向かっていました。
もう日が短いので、登りはじめから真っ暗です。

5時半くらいから、稲荷山コースで登りました。
どんどん降りてくる人がいます。しかし登る人はだれもいません。
荷物も慌てていたので軽装です。少し寒くないか…と思いつつ。

最近登っていなかったし、しかも久々の夜の山…。
回数を多くし、慣れているとわりと平気だけど、たまに登ると、まだ立ち上がる「恐れ」。

まだ数年前、登りはじめの頃は本当に山が恐かった…。
時間の経過とともに、恐れの種類が違ってきているのを感じます。

はじめの頃は、ただ「落ちること」が恐かったでしょうか?
足場が砂のように崩れて、さ~っと身体が吸い込まれる感じ…そんなイメージがずっとついていました。
あるとき、思っているよりも、道は広くそんなに急ではないのだ…と気が付きました。視覚が変わったのです。
目の前で、崖のようになっていた山道がふっと、平になったのです。想像が、実際以上に、谷側のほうに傾いているように見えていたことに気が付きました。
たぶん、登山靴を脱いで、はだしで地面に足をついてみてからかもしれません。
直接、地面を感じることで、思ったよりもしっかりとしていることが確認できた感じです。
子供の頃、はだしで遊ぶって大切かもしれませんね。

次は、「転ぶこと」が恐かったです。
転ぶことのなにがこわいのか…
痛いことか、怪我をすることか…いや、出てきたのは「怒られるのが恐い」でした。
「なにやってのん、だから前をちゃんと向いて歩きなさいって言ったのに」
「またお洋服汚して」
など、心の奥に耳を澄ますと、後ろの方からいないはずの母の声が聞こえてくるのがわかりました。

次は、「夕暮れ時が恐い」でした。
しかも、日の出山から御岳ケーブルカーに向かう、かなり広いしっかりとした道です。
まだ暗くもなっていない、3時半くらいです。
「あぁ、門限だ」
私が高校まで、門限に対しては母がかなり厳しかったです。
母の父、つまり祖父は異常なくらい娘たちの門限には厳しく、連帯責任だったそうです。

そこもクリアすると、「岩とか石とか岩場が恐い」になりました。
見えるだけで、圧倒されて恐いのです。
あるとき、「あぁ、岩は父なのだな」と感じました。
しっかりしていると思って、うっかり足を置くと、ぐらぐらとする浮石の時があります。
頼りにしたいのに、肝心な時に頼りにならない父の象徴なのだな…と思いました。

そして今回は、すでに真っ暗時に、親から「危ないから行ってはいけない」と禁止されていた山に向かうのです。
私の内面では、両親、親戚、祖父母…総勢で猛反対します。
電車でUターンしようかと思うくらいでした。
しかもなぜか所持金がギリギリしかもっていなくて、ちょっとしたものも買えない状況です。
明日の朝1番に向かわなければならない出張の準備も、全くしないまま出かけてしまいました。
どう考えても、家に戻るのは、10時くらい。
慌てて準備をしたら、忘れ物とかたくさんありそうです。
しっかり者の長女の私には、許されることではありません。

いろんなことが重なって、気持ちが揺れに揺れます。
そんな無茶苦茶な状況で登ってみました。
山頂まで1時間半6時半~7時くらいにつくでしょうか?

登りながら、自分の中の奥の方でずっと「ビクビク」していたインチャに気が付きました。
「これでいい?」「大丈夫?」「なんか間違っていない?」「わたし平気なの?」
生きること自体におびえて、常に周りを覗っている感じのインチャ…。
ずっと恐かった、怒られないように頑張ってきた。
そして、頑張っても褒めてもらえない、認めてもらえない。
私がやりたいことは、「つまらないこと」「そんなことどうだっていい」って否定されてしまう。

あぁ、いるねぇ~、いるねぇ~。
そして、やっと出てきてくれたね~。
ずっとずっと隠れて、様子をみていたんだよね。

小さい頃からたくさんの大人(親戚)に囲まれて育ったけど、誰一人私に優しい大人っていませんでした。
そんなかで私は、父は優しいと思っていました。
中学生くらいだったでしょうか?母が離婚を悩んでいるときに、
「お父さんとお母さんが離婚したら、どっちについていく?」と叔母と話していた母が私にききます。
妹とと弟はまだ小さいので、母が必要だなって思いました。
そうする、父は1人になってしまう。父は1人では居れないと、そう感じました。
母についていっても、弟と妹のために家事をやらなければならないでしょう。
ならば父のために家事をやろうと考えたのです。
「お父さんについていく。おかあさんには、弟と妹がいるでしょ?」とそんな感じで母に伝えました。
母は、私を裏切り者呼ばわりしました。こんなに苦労しているのに、あんたは…と、ものすごく責められました。
叔母は「この子は昔からお父さんっ子だったじゃない」と母をなだめるためにいいました。
私は、父を好きだとずっと思っていました。そして、父は、私のことを特別にかわいがってくれていたと思っていました。
だから父に対して、恐れなど無いはずだ、他の人に冷たく厳しくても、私には優しい…
そんなイメージがあります。
でも、今回の高尾山では、両親と祖父母に対する恐れ、私の周りの大人全部が恐い…という感じなのです。

お父さんっ子と言われ、父にかわいがられていたと思っていた幼少時代。
父に対しての恐れというものが、あることすら、意識できなかったけど…。
「恐れ」を感じようとすると、身体の芯のほうから、ものすごい震えが襲ってきます。
なんでそんなにこわいのか、まだインチャは語ってくれないのだけど、大人の私が、「こわいって思っていいよ」「大丈夫、ちゃんと守るから」と言ってみる。
たまに出てきたは、あっという間に隠れてしまうこのインチャ…。
保護した子猫のように臆病だ…と感じます。
焦らずに、少しずつ…少しずつ…。


  

我慢が、我慢でなくなった瞬間

私は3人兄弟の長女です。妹と弟は、二卵性の双子で、わたしとは7歳離れています。
両親は共働きで、母もフルタイムで働いて、残業も休日出勤もありました。
母が遅い時は、作り置きしていたシチューやカレーを温めて、弟と妹に食べさせます。
温めるだけなので大したことはしていないのですが、親がいない夜の保護者的な存在であることには違いはありませんでした。
親代わりなのだ…という自覚はありました。

実家の福島は、果物王国なのでほぼ1年中果物を毎日食べます。
おやつを分けるのも私がやることが多かったです。
母はわりとざっくりなので、ぶどうはだいたいのところで切って3等分します。
しかし、何事も公平で損をしたくない妹は、「本当に同じなのか?」と、いろいろ説明しても納得がいきません。
母は、「良いから食べろ」と取り合わないのですが、妹はずっと怒り続ける子だし、気持ちもわからなくもないので、仕方なく、全部1粒ずつ皿に分けていきます。
デラウェアなんかは、房に付いていた方が、おいしそうなんだけど、豆のように皿において、全部数が同じことを証明しなくてはなりませんでした。1つでも違うと「ズルい」となり、弟がこんどは「ズルい」となるので、そんなときは、わたしのを1つあげていました。

しかし、心の中では、「私だって多くだべたい。なんで私だけこんなに我慢しなくてはならないんだ」と、悔しい思いをしながらあげていました。小学生だった私は、3~4歳の子がぐずるをなだめるのも、喧嘩するのも、面倒でした。だから我慢しました。

いちご好きな私は、いちごをわたしのを少なく分けるときの葛藤は相当なものでした。
妹は分け終わるまで不正がないか、しっかり見ているのですが、ちょっとごまかして、一瞬で口に入れようか…と、いちごをガン見していたこともあります。

そのたびに心の中では、いろんな私が作戦会議をしています。
でも、結局不正はしませんでした。

そんなことを1年くらいやっていたでしょうか。ある日、フッと、自然に私のを少なくわけることが出来た瞬間がありました。
それはとても突然で、とても不思議な感覚でした。
もう辛くないのです。
あれほど胸を焼き尽くすような執着が、一瞬で抜けた感じです。
いつも訪れる心の葛藤がなく、あまりにも強烈な経験だったので覚えています。
小学2~3年の頃でもありましたし、単純に我慢できる年齢になったからかもしれません。

それとともに、悔しい気持ちをずっと自覚して、認めていたことも良かったと今は思います。
「本当は、やりたくない。私だっていっぱい食べたいんだ。私だけ我慢なのんてイヤだ」
そんな気持ちをちゃんと自覚し、でも、行動では、グッと我慢していた。しかも、親に言われて我慢したのではなく、自分でどうするのがいいかを考えての行動だった…ということも大事なポイントだと思います。
そして、このことに関しては、妹を責める気持ちよりも、「そりゃあ食べたいよね」と、共感する気持ちの方が強かったように感じます。もちろん、他のことでは思いっきり妹を責める気持ちがありますよ。
つまり、抑圧をせずに、だからトラウマにもしなかった経験…。

それ以降は、気持ちよく分けることができるようになりました。
なにより、気持ちが楽になったということがうれしかったと記憶しています。

この経験があったから、小さい時から、「人は変われる」と信じていました。
自分の性格は治せると。それはそれで、素敵な自分を作ろうとして本来の自分から離れてしまうことになるのですが…。

我慢するということ自体、ある程度練習しながら、ある程度の年齢にならないと出来ない事でもあります。
考えてみたら、子供が親代わり…というのは、無茶な話なんですよね。
大人には大人の仕事、子供には子供の仕事…。
同じではないのです。
ちゃんとやれば、大人のように出来る…というのは幻想にすぎません。

 

秋の夜長に、インチャの分析を…

なかなか自分で行うのは難しい…感じることが多いインチャの分析。
インチャの分析を身に付けたい…と、取り組んでいる方が増えてきています。
過去に、実際に分析を書いたものがあります。

今まで学んだことと照らし合わせて、読んでみてください。

  一途に想う…ということ①

  一途に想う…ということ②

  一途に想う…ということ③

  一途に想う…ということ④

  一途に想う…ということ⑤

  一途に想う…ということ 完結

インチャの分析は、とても難しいので、混乱するものです。
わかりにくい処は、ご連絡ください。
ある程度のところまではお答えいたします。
細かいところは、個人レッスンにて、一緒にすすめていきましょう。

⇒ くるりん事務局

おまけで、インチャの癒しを理解するための本の紹介ブログ

  お勧めの文庫

もういっちょおまけで、感情を感じにくいということについて

  感情の麻痺

  幼い自分との対話のすすめ

秋の夜長を、自分の内面と向き合い、インチャと対話してみませんか。





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プロフィール

くるりん 村上

Author:くるりん 村上
日本人が元々もっている内照するような感覚を日常に取り入れてみると、自分を客観視することができ、自分の考え方の癖に気がつき、見えてこなかった真実に気がついてきます。私たちのほとんどは、自分の人生を自分の足で歩いていないのです。世間体とか周りの人たちとか、みんな…という誰かの価値観の中で生きています。でも本来私たちは愛の存在であり、愛に包まれています。だから、私たちはもっと自由に自分らしく生きても、いいのです。
くるりんでいうところのインナーチャイルドとは?
ホームページはこちら。
http://kururin.wix.com/p-kururin

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